国道沿いに柿の木がありました。
小さい青い実がついていました。
まだまだ猛暑で、まだまだ暑いんですが、
こうやって私たちの知らない間に
「秋」という次のステージの準備が着々と進んでいます。
ほんと大自然のやり方・あり方って、
とっても自然な流れで、さりがなくって、本当に勉強になります。
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午前10時過ぎ。。。
だんだんと疲れてきて・・・
と同時にだんだんと雲が暑くなり、とうとう雨&雷状態。
しばし、小さな祠(小さな公民館つき)で
雨宿りすることにしました。
こんな時、「時間にゆとり」があることのありがたさを感じます。
前回の真夏の四国遍路行で無理なスケジュールを立てすぎて、
熱中症っぽい症状にやられ、バスに乗ったという
苦い思い出があるので、無理の無いスケジュールに変えたんです。
ほんと、失敗は一回でいい。学習能力が発揮出来ています(%ニコ女%)(%音符1%)
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結局ここで20分くらい、ぼけーっと
降って来る雨を眺めながら待っていました。
すると、ふっ・・・と昔のことを思い出しました。
今はもう会うことのない、縁の切れた方々のことが
思い出されました。
「取捨選択」という言葉がありますが、
ご縁も全て自分自身が選んだもの。
その過去のご縁の選択があって、その結果が今、そのもの。
そして今の選択や判断の結果が、未来そのものになっていく。
そんな想いに達した時、一斉に蝉が鳴き出しました。。
蝉は雷雲が去ったことが分かったんでしょうね。
それから雷は一度も鳴らず、雨の止んでいきました。
なるほど。
やっぱり人間以外の生き物の勘が鋭い。
やっぱり、大自然から謙虚に学ぶべきものは多い。
ほんと、人間、傲慢になりすぎると、ろくなことがありませんよね。
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しばらく歩くと、
ネコっぽい死骸が国道の端に存在していました。
もう「動物」という体裁ではなく、『ただの塊』の如く、
生きていた時の面影がなくなって、
座布団のように、ぺっちゃんこになっていました。
こんな感じで、人間もいつかは必ず死んで、
ただの塊に成って、あの世に魂が還る時がくる。
まさに、諸行無常・・・平家物語状態。
ぺっちゃんこになった・・・塊化したネコちゃんから、そんなことを感じました。
幸せも不幸せも永久に続かない。
不幸せでさえ、幸せだったと思える時がくる。
それが死ぬ時である。
「今生きてるからこそ、幸せも不幸せも味わえる。」
この真理・本質を常に掴んでおくと、
幸不幸という見せかけの境遇に惑わされ、一喜一憂することがなくなる。
この世は『一切が善』であり、心の中は“感謝”しかなくなる。
・・・また更に気づいたことがあります。
これも天の声でしょうか(笑)。
・・・物事の本質が分かってるから成功する。
本質を常に見極め掴んでいるから成功が深まってゆく。
そして人様に的確な判断アドバイスやサポートが提供出来る。
本質を見極める力…つまり、
ありのままを見る・見極める目(心眼)を日々養い続ける。
日々の鍛錬を休むと、溜めている水みたいに澱んで腐ってくる。
次に第一感(直感力・直観力)を養う。
物事の本質、状況を的確に把握し判断し続ける。
その判断に基づいて、的確な言動をし続ける。
(必要なことをする&余計なこと・“役越え”はしない。)
(以上の作業を繰り返すのが人生そのもの)
最初&全ての根本は「すなおさ」。
ありのままを見る・ありのままの言動に移せる心の器。
人間からすなおさを奪っているのは“我”である。
煩悩をわるい方に使っている有様である。
人間にとって煩悩自体は善でも悪でもない。
中性のものであって、使い方がよければ“善の行い(徳)”となり、
わるければ“悪い行い(罪)”になる。
“我(煩悩のわるい使い方)”の本は『愛欠乏症』という、
一種の心の症状・病気であり、それが一切の“苦難”の本になる。
『愛欠乏症』は、自分自身が生まれる前から、
または生まれ後から両親をはじめ、
自分以外の外部環境から与えられた“試練”
(自分をよりよくさせる為のチャンス)である。
これを生きている間、一つ一つ『苦難』となって
襲って来るものを手掛かりに解消・昇華していく。
それが人生修業の正体である。
それから、感情(特にマイナス感情・人の心身を傷つける感情)を
コントロールする方法は、心理(真理)を体得するしかない。
人を応援し、助け救うためには、出来る限り自身が持っている、
“物心両面の荷物”は軽い方がいい。だから私は出来る限り物は持たない。
人間関係も広げ過ぎない。
そして自身で“組織”というものを作らない。
器や力のある…たくさん持てる人は、
頑張って少しでもたくさん持とうとするが、無理し過ぎると病気になったり、
周りの人たちの心身に負担になり疲弊・崩壊する。
理想なのは、“適正な組織”をつくることである。
組織員みんなで、個性に応じて荷物(役割)を分担することである。
・・・人生の荷物は軽い少ない方がいい。
例え津波がきて無くなっても、
持っていない分、物理的精神的ダメージが少ない。
・・・冴えてます、よしこちゃんっ(%ニヤ女%)(%晴れ%)(ある種、変人化?笑)
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ってことで、おかげさまでなんやかんやと
16時前に、民宿に到着しました!
昨晩、鯖大師さんでは、宿泊客は私だけで、
お寺の宿坊が貸しきり状態で、自適悠々状態でしたが(笑)、
今晩は、茨城県からお越しの団塊世代の歩きお遍路の
おじさまと、サーファーっぽい団体さん4人と一緒でした。
さすがに、お遍路さんは今、閑散期なんで、
お遍路同士のご縁はあまりないですが、
今日もいろんな方の日常生活を垣間見させて頂き、
また生活の中に登場をさせて頂き、本当に充実した1日となりました。
こんな感じで、真夏の時速4キロの旅修行は、
まだ少し続いていきます。
この国、この四国の何気ない風景、人の営みに、
感動&感涙していると同時に、
歩いていると、ふっと何もなにのに、
「うれし泣き」と「悲し泣き」を同時にしている自分がいたりします。
「うれし泣き」と「悲し泣き」を同時にするのは、
きっと日常ではないと思います。
これを突き詰めてみますと、
生きる喜びと、生きる哀しさ・侘しさ・虚しさを同時に
どっといっぺんに感じるという不思議な感覚です。
「生きる」ということは、喜怒哀楽全部の感情を織り交ぜて
紡ぎだされたものだと思います。
だから、うれしいし、かなしい。。。
何とも言えない、『万感の境地』です。
この何とも言えないあらゆる感情を超えて・・・超克すべく、
人生修行を重ね、どう解脱&成仏をして“逝く”か。。。?
これからも、その問い・・・それを極める遍路道は続きます。
ってことも、明日もハリキッテ歩きま〜す(%笑う女%)(%晴れ%)
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