北千住の美登利湯と荒川放水路の通水式を見てた?東武伊勢崎線荒川放水路橋梁

北千住駅東口から学園通りという商店街を行って学園西通りに曲がると、美登利湯があります。千住でも東の端に近く、東隣の柳原町内からでも煙突が見えています。黄色い千鳥破風の立派な伝統和風の建物で、玄関上の美登利湯の看板が立派です。
脱衣場はフロント式に改造されていて、天井は格子を茶色に、それ以外を白く塗った格天井。浴室の内装はタイル主体に変わっていますが、伝統的な高い湯気抜きのある二段の天井です。駅に近い学園東通りの梅の湯がお休みの日曜日、賑わっていました。
美登利湯 足立区千住旭町25-11 16:00〜23:30 火曜お休み 北千住駅から5分くらい 

美登利湯から東の荒川はほんの少しで、南の隅田川も遠くはありません。隅田川と荒川は、北区の岩淵水門のところで分かれてから、堀切のところまではつかず離れず流れてきます。並行しているのに、隅田川はずいぶん蛇行し、荒川はまっすぐです。これは荒川が人工的に作られた放水路だからです。
荒川の放水路ができるまでは、狭く、曲がった隅田川1本で上流の雨を流していました。江戸時代は周囲が田畑ばかりだった頃は雨が降ってもそれほどの水量にならなかったかもしれませんが、家が増えてくると、もたなくなり、明治43年は隅田川が破堤して東京の下町は8万戸以上が浸水する大水害になりました。このため放水路で中川の方へ水を抜くことが計画され、明治44年着手、難工事の末、大正13年に岩淵水門から通水が始まりました。
河川敷に出てみると、幅500mほどの広い河川敷をゆったり流れる今の荒川は、暴れ川だった「荒」川の過去は想像できません。多くの鉄橋が渡って行きますが、その中で東武下り線の3径間分だけがリベットでゴツゴツのクラシックな姿です。大正11年架設のこの鉄橋は、荒川放水路の通水を見おろした唯一の現存する橋だと思います。東武伊勢崎線の鉄橋は「荒川放水路橋梁」と「放水路」が入ります。