「リーダーの条件」 後編

上記の『「リーダーの条件」 前編』を

電車で移動中の時間を使って、携帯電話で書いてますと、

以前・・・先月の歩き遍路行中に、ぱっと閃いて、

一気に書き上げた下記の日記が「下書き」に残っていることを発見☆

上記の日記と一部内容がかぶっておりますが

ちょうどいい機会なので、

下記に記しておきたいと思いますっ(%ニコ女%)(%星%)

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・・・最近、いろんな組織に関わりまた、いろんな組織を見聞きします。

そんな中、思うことがあります。

それは『何のためにそれをするのか?』

という根本的な問いです。

見聞きする組織事業の中にはその問いに対する答え(=理念・モト)がない

&薄いものが混じっています。

理念がない・薄いから、事業元の個人や

組織の予想通りに物事が実現していかない。

私は事業が失敗する最も多く、そして大きな理由はそれだと見ています。

あるのは、中途半端だったり“見せかけ”の理念や体裁。

中身がない・薄い 実体がない・乏しい …器がない 。

泡みたいに膨脹して弾けたら終わり。全てが無(無駄)になる。

ムリクリ(無理矢理)するのではなく、状況が揃い時期が来たら、

自然とそうなっていく・実現&成功するものである。

それ相応になれば・そんな器になれば、自ずとそうなっていく。

成長・進化するにあたり、自らの器・実力以上のことに挑戦することは必要なことだが、

虚実を重ねるのは行き過ぎであり、そかに様々な歪みが生まれ、調和が崩れる。

例え、自分の理想とは掛け離れた現状・現実であっても、

焦ったり憂えたりすることはない。

これから起こること、今起こってることは全て、

自らを高める為の修業であるからして、一切が善である。

例えそうで無くても、そうやって思い切ることが大切。

自分にふりかかる境遇が、善か悪かと判断するのは

堕落(つまらぬ)人間の“馬鹿智恵”である。

また多くの人は予習(準備、これから謙虚に学ぶという“心構え”)と

復習(学んだことを自分自身の経験値として活かす・応用する

…心(胆)に落し込むという“心構え”と作業。後始末)を完璧に怠っている。

今(その時々)学ぶ・頭に入れることしかやらない。

つまり思い込み・思いつきの境地を脱しない。

結局のところ、いくら口で『世のため人のため』と綺麗事を並べていても、

今の快楽や都合、そして自分自身のことしか考えていない。

「いいことを学んだ・得た」と、『学んだつもり』という『つもり病』にかかり、

中途半端に覚えた耳学問で、他人を責め、自己保身の道具にし続けている。

だからいつまで経っても真の成長・進化が無い。

そこで愚者は更に“馬鹿智恵”を働かせる。悪循環。

仏様であっても救いようがない。

『他人に成長・進化しているように見せかける』という虚実を内外に演出する。

つまり実体の無い中身を創り上げるのである。

出来てない・出来なかったことも含め、

大局的且つ客観的に自らの言動を振り返り、反省し、

次に活かすことをしないで、仲間内だけで「成功、大成功」と言い放っている。

完全に自己保身。

果たしてそこに素直さや進歩、発展が存在するのだろうか?

そんな“愚者心”を私は見える。

最近は憤りや空しさ(諸行無常感)を越えて、

『人間であればみんな大なり小持っている心やなー』と許す…

慈愛の感情が芽生えると同時に、『人は鏡』なので、

自分自身の“行”を通して、更に正しく律していきたい。

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・・・なんか、私の言葉であって、私の言葉でないような感じですね〜(笑)!

今日は朝から倫理法人会の「モーニングセミナー」、

ちょっとおシゴトした後は、天王寺の一心寺さんにお参りに行って来ました。

母方の祖母&母方の祖父(育ての祖父)のお参りです。

帰宅すると、もくもくと雲が出てきて、一気に夕立です。

絶妙なタイミングでした。

ほんと、有難いです。

こんな大なり小なりの軌跡&奇跡(事象)によって、

私は自身の人生の歩む道の正しさ&間違いに気付くことができています。

もう少ししたらまた出かけるので、夕立によって

ちょっと綺麗になったこの町に繰り出して、

またあれこれとがんばりたいなと思いま〜す(%笑う女%)(%王冠%)