太平洋戦争と動物たち

70年前の1943年8月から44年の夏の
太平洋戦争時
軍の意向や行政からの命令で
全国の動物園で市民に危害を与える
恐れがあるからという理由で
130頭以上の動物たちが処分された

空襲に備えて動物の危険性をランク付けして
処分方法は薬殺が基本だった

上野動物園では毒入りの餌を口にしようとせず
毒を注射しようとにも皮が固くて注射針が刺さらない
このため3頭のゾウたちはえさを与えず餓死させられることに
ジョンは絶食17日目、花子は18日目、トンキーは30日目に死んだ
動物たちの慰霊祭が催された時
花子とトンキーはまだ生きておりゾウ舎は幕で隠されていた

責任者だった福田三郎氏は1ヶ月で8キロやせた
他の飼育員もみんなそうだったという
この実話を題材にされた絵本が「かわいそうなぞう」

名古屋東山動物園ではゾウ処分の指示に
北王園長が除名嘆願し
「常に鎖でつなぎ毎月状況を報告する」という条件で
処分は当分見合わせることに

また新任の三井大尉は軍馬用の飼料の俵をゾウ舎の通路におくように指示
飼育員はこっそり俵を抜き取りゾウに与えることができた
うち2頭が戦時を生き抜いた
この実話を元にした絵本が「ぞうれっしゃがやってきた」

熊本動物園では「部隊の食料にする」との通告で
ゾウのエリーも1945年の春から夏ごろに処分された
電気を通したプールに入れ感電させようとしたが
危険を察してかプールに入らず
やむなく飼育員が電極を口に差し込んだ
この実話を元にした絵本が「ごめんねメリー」

神戸市諏訪山動物園ではオオヤマネコがひそかに隠され
難を逃れたが食糧事情が悪く終戦間近の1945年病死した

「ぞうれっしゃがやってきた」の作者小出隆司の言葉
犠牲の歴史から平和の尊さ、希望の大切さを学ぼう