今日は少し暑さも和らいできたかなという感じですね。
どうでもいいことですが、気がつけば昨日もお昼はコンビニでのり弁を買いました。
レジを通ってから気がつきました。
まぁいいか。
さておき。
この世界に身を置いて悲しいなと思うことがいくつかあります。
そのひとつが「不公平感」。
もちろん世の中がすべて公平だとか思ってないことを前提に。
例えば家族さんのこういう話。
「自分のこどもの将来(就労など)について障害が重いので不安だ。軽度のこどもさんの親御さんがうらやましい。」(またはその逆)
「うちの状況は大変なのにサービス支給量はこれだけ。他の方がもっと支給してもらっているのはオカシイと思う」
とかなんとか。
こういう話を聞くとき、その方がそう感じたということは間違いだとは思いません。実感としてそう思ったという事なのですから。
けれど支援者としての立場から思えばちょっと言葉が返しづらい。
こどもさんに障害があるということでご家族が健常児の親よりも大変な思いをされているということは違いないのですが、じゃぁ障害の程度で大変さを比べるということはこちらではできません。
大変さというのは一人一人の絶対的なものであって比べるものじゃないでしょう。
むしろ問題なのは一人一人の大変さに対して適切な手助けができていない社会の構造にあります。
こういう「不公平感」は往々にして当事者同士の対立や阻害になってしまうことを見てきましたのでなんともなぁと。
支援者はどちらの“味方”にもつけません。
本来は手をつなぐべき当事者同士が敵対してしまうということはとても悲しいことです。
これでは決して世の中は前に進みません。
そう思ってます。
あわづ