北摂の歴史を探る

日 時 平成25年8月25日(日)
場 所 宝塚国際文化センター
主 催 阪神北地域ビジョン委員会
 北摂とは、摂津の北側(川西・宝塚・三田・伊丹・・・・)の意で、
摂津とは、5畿内(大和・山背・和泉・河内・摂津)のひとつのこと
を言います。
 その北摂の多田地区(現川西市)に一大勢力を築いたのが
清和天皇から皇籍を離脱して臣下に下った子孫の源満仲でした。
 満仲は、当初御所等を護衛する「北面の武士」でしたが、各地で荘園の土地争いが起こり、これを平定する役目を担って各地域に長官として赴任するようになります。
 各地の長官とは現在の県知事のようなもので、赴任を重ねるうちに大きな武力と莫大な財を築きあげ、最終的に多田の地に落ち着きました。
 多田は、都(京都)に近く、また銀・銅等も豊富で、たいへんメリットの多い土地柄でした。
 満仲の長男・頼光はこの摂津源氏を引き継ぎ、次男の頼親は大和源氏の、三男の頼信は河内源氏の祖となりました。
 因みに、後に鎌倉幕府を開いた源頼朝は、河内源氏の末裔ということになります。
 北摂の地はその後戦国時代に織田信長の本願寺攻めや荒木村重の乱等により、戦乱に巻き込まれて焼き討ちにあいますが、やがて家康の天下統一によって徐々に復興していきました。