秀吉を天下人に

日 時 平成25年11月29日(金)
場 所 鳴尾公民館
主 催 鳴尾公民館活動推進員会
 軍師・黒田官兵衛が秀吉に仕え、秀吉を天下人に押し上げる
までを中心とした講座でした。
 官兵衛は有岡城(伊丹)の荒木村重の反旗を留意させるため
単身乗り込みますが、逆にとらえられ1年後に救出されます。
 その後は秀吉の中国攻めに参加し、別所長治の三木城干殺し
吉川経家の鳥取城渇え殺し、清水宗治の備中高松城水攻め等々に重要な役割を果たしました。
 そして1582年(天正10年)6月2日の本能寺の変が勃発するや、秀吉の悲しみを払拭するかのように、「天下を取る好機では・・・」と進言し、即日毛利軍と和議を結び、軍中には「信長の仇を討てば秀吉は天下人になる。功名の将は大名に、足軽は部将になれる千載一遇の機会である。」と噂を流して、世にいう中国大返しを敢行いたします。
 秀吉は山崎の戦いで明智光秀軍を破って名声をあげ、清州会議を経て、賤ケ岳の合戦において織田家筆頭家老・柴田勝家に勝利して名実ともに天下人となりました。
 もっともどんな時でも先を見通し、冷静沈着に対応する官兵衛を秀吉はしだいに警戒するようになり、決して大禄を与えようとはしませんでした。
 秀吉は、「友は身近に置け、敵はもっと身近に置け」を実践いたしました。