12月1日(日)。
いよいよ、お正月まで1ヵ月ですね・・・早っ(%ショック女%)(%星%)
晴天の中今朝も、恒例の「一日参り」すべく
奈良県桜井市の「大神神社(三輪大社)」に行ってきましたぁ〜(%笑う女%)
平日だったら、ぱっと目が覚めた時間に
ふら〜っと行くのですが、
今日は混雑が予想される日曜日でしたので、
そさくさと8時半に到着っ☆既に、多くの参拝者がおり、
奥にある無料駐車場はほぼ満車になっていて、プチ渋滞。。。
一番手前の駐車場に入れました。
帰り・10時半頃には、大神神社周辺道路は四方八方
長蛇の渋滞になっていて、
来月・お正月の「一日参り」の恐ろしさが身にしみマシタ。。。(%ショック女%)(%涙%)
と同時に、たった1〜2時間ずれただけで・・・
たった1〜2時間早起きしただけで、
同じ行為をする為の時間がこんなに変わるなんて・・・
ということをまざまざと見せ付けられマシタ☆
私は、かれこれ4年くらい前からこの「一日参り」を
この大神神社でさせて頂いている訳ですが、
お正月・・・毎年50万人くらい訪れる、この神社への参拝が
一番ナンギな“実践”でございます・・・(涙)。
私は「待つ」ということ・・・交通渋滞が最もキライですし、
最も無意味な時間の使い方(=浪費)だと考えておりますので、
睡眠時間を削ってでも・ずらしてでも、
この渋滞(人間の集中による物事をこなすスピードの鈍化)を避ける方法を、
この「一日参り」に限らず、考え続けています。
私は日々常に、物事を実践・成就させる方法としてまず・・・
①自分自身で適正且つスピーディーに成就させる方法を
シュミレートし、仮説(やり方)を構築する。
ということを頭の中で行っています。
次に・・・
②その仮説が正しいか・・・詳しい人に相談する。
ということを必ず行います。
人間は『基本的にバカで浅知恵な動物』だと思っておりますので(笑)、
必ず、「この人こそは!」という方に相談させて頂きます。
(後は、③一度決めたことは愚直にやり遂げると同時に、
TPOに応じて、臨機応変にやり方を変えていくことを責任持ってする、ことです)
元旦の「一日参り」をよりスピーディーに終える方法を相談したのが、
神社のご祈祷の受付の方です。
「元旦のお参りで最も参拝者の少ない時間帯を教えてください」
その答えは「朝方4時〜5時の間です」とのことです。
その傾向は近年ますます顕著化しているとのことです。
これはめちゃくちゃ有益な情報でした☆
つまり、参拝者は減っていないにも関わらず、
その4時〜5時の間が減っているということは
つまり、元旦の0時〜3時、そして朝5時以降の参拝者が
増えているこいうことなんです。
今年、元旦の昼間に参拝に行った方(2組の方々)から
得られた情報として、
「ものすごい人で、交通整理していて、参拝終えるのに半日もかかった!」
ということです☆半日って凄いですね〜(%痛い女%)
いろんな価値観があろうかと思われますが、
(半日かけて、同行者とニコニコ話ながら参拝とかもいいかも知れませんね)
私は何度も申し上げますように「待つ」ことがキライですので、
毎年愚直までに、4〜5時の間に行っています。
すると年々、その時間帯の参拝者が減っていることは、
三輪大社手前の渋滞の長さで“見えて”おります。
特に今年の元旦は、「大寒波到来!」とTVで散々やっていたせいか、
渋滞は今日の10時半の状態の3分の1程度しかありませんでした。
ここからは私の推測ですが、
基本的に神社へお参りというのは、高齢者が多いかと思われます。
高齢者の方々は年齢的に朝早く目が覚めるし、
昔から農業に従事されている方が多いので、
朝早く起きるのに慣れていて、だから4〜5時の空いている時間帯に
参拝しに行かれたんだと思います。
ところが、高齢者の方々が順番に天に召され・・・
またどんどん寒くて暗い時間帯に外に出られなくなり・・・
どんどんとこの時間帯に参拝する人が減るという社会情勢に
なっているんだと思います。
私が何を申し上げたいかといいますと、
このように、たかが(?)「一日参り」一つにしても、
時代の流れ・社会情勢・その時代の人間の生活習慣や価値観・・・
というものが影響しており、
それを的確に捉えた上で、行動に移すことによって、
自分自身の日々の仕事、活動・・・人生にまで
より幸福(な時間)をもたらしてくれるということなんです。
世の中には必ず「流れ・傾向」「不易流行」があり、
それを正確に読めない人たちは、
流れが変わったのも気づかず、時代の点にあぐらをかき、
取り残されていきます。
また、「オレはこれでいいねん、ここでいいねん」と
我儘から端を発した『根拠のない自信』にあぐらをかき、
取り残されている人もおられます。
時代の流れは、早くなっています。
その早い流れに乗り、「これがよい」と全てを受け入れ、
楽しくサーフィンし続ける人間だけが
幸せになっていきます。
現状や時代の流れに嘆き、憂え、怒り、未来に対して心配しても
境遇は何も変わらないし、悪くなる一方です。
だったら、スナオにその変化を受け入れ、
時代の変化に、自分自身を合わせ、変えていくしかないんです。
嘆き、憂え、怒っていて、時代の流れを自分で変えれるのであれば、
私は散々嘆きまくっております(笑)。
最近、こんなことを私は、感じています。
大神神社の「一日参り」では、あらゆる露天が出てきて、
見ているだけでも楽しいです!
きっと、昭和・大正・明治・江戸・・・ずっと前から
こん露天が出続けていたんだと思い、
タイムスリップした感じでで、結構好きな
ノスタルジックな光景です。
この風景を『なつかしい』と感じるのは、
きっと私のDNAの中に生き続ける
私の遠いご先祖さまも、この露天を通って神社のお参りを
してはったのかも知れませんね〜(%笑う女%)(%王冠%)
鍬とな鉈とか・・・農機具屋さんや
カゴ屋さん(写真)も、ここでは健在デス(%ニコ女%)(%星%)
毎月同じ場所に、同じ露天がありますので、
信用商売しないと、つまはじきにされるかと思いますので、
ぼったくりの粗悪品とかは置いていない感じで、
良店が多いように感じます。
そういえば、露天がちょっと途切れている場所に
毎月のように托鉢をされている
修行僧のおじさんがおられます。
(恐らく毎月同一人物か・・・と?)
このおじさん、見た目、めっちゃピュアーなおじさんです。
が、私が耳をすませておじさんの声を聴いた時はいつも
般若心経しか唱えてはりませんので、思わず・・・
「私も般若心経は唱えられるから、
私もこのオッチャンと同じレベルの托鉢修行は出来そうやなっ」(笑)と
ちょっと期待外れな感じがいたしましたぁ〜^^;
四国の山々や大峰山等、荒々しい山々で荒修行をされてはるような
雄雄しい感じはせず、ひたすら街中を般若心経唱えながら托鉢し、
日頃はフツーに生活している「兼業托鉢家(?)」という感じがいたしました。
(おじさま、ゴメンナサイ。。。全く持って私の勝手な根拠のない推測です)
そんなおじさまに、声をかけている人がおりました!
私くらいの年齢の可愛いおかあさんです。
物心つくかつかないかくらいの男の子をだっこしてました。
で、どうやらそのおかあさんは我が子が健全に育つようにと、
おじさんにお願いをされたようで、なにやらブツブツと念仏を唱えはじめ、
右手で持っていた仏具をカシャカシャと男の子の頭の上で
振っていました。
私は、思わず・・・
「あんななまくさ坊主っぽいオッサンに
シャカシャカやって貰ったところで、効果ないし、
托鉢代もったいないわ〜(%ショック女%)(%星%)」
って、正直、思ってしまいました。。。(おじさま、ゴメンナサイ・・・再び)
ところが、当の男の子と、そのおかあさんは
満面の笑みで、笑っているんです。
そのおじさまも、満面の笑みで笑っているんです。
私はその時、自分自身の『間違い』気づいた訳です。
「そうか・・・。発信者である托鉢のおじさまの呪力や
修行のレベルがどうこうではなく、
受信者である、男の子やおかあさんが
『この行為にはご利益がある』と確信すれば、
本当にその通りになって行くねんな〜(%笑う女%)(%晴れ%)」
・・・ということです。
まさに、『信じる者は救われる』の境地ですよね。
そして、そのおじさんが例え、荒修行から得た悟りとか呪力とかがなくても、
「この親子に幸せになって欲しい」と心底願いながら
念仏を唱えれば、本当にそう成って行くような気がしたんです。
要は気持ち・・・『心』ですよね。
対立している・別々の存在である送信者と受信者の心が一致・合一した瞬間、
物事って即☆結実・成就してゆくものなんだと感じました。
私は、本当にいい光景を見させて頂き、その光景に感動し、
また一つ、大切なことに気づかせていただきました(ー人ー)☆
逆なパターン(例)をあげますと、
毎月、大神神社で私は毎月ご祈祷を受けている訳ですが、
一緒にご祈祷を受ける方々の中に、まさに・・・
「私は今、ガケップチにいて、正に、必死のパッチです。
神様、どうか私を助けてください!」的に
藁をもすがる、切羽詰った勢いで、来られてはる方を時々見かけます。
個人的には、
「そんなどうしようもない状況になる前には、必ず『前兆』があり、
その『黄色信号』の時に、何とか対処し、自身を変えとけば
よかったのに・・・」と冷めた感じで見ておりますが(笑)、
その方が、がっぽり☆ご祈祷料を積んで、神楽奉納までされたにも関わらず、
まだ参拝し足らないようで、
ご祈祷が終った後も、拝殿の神棚側に一人残って、
更にお賽銭を入れて、土下座され、またさらに祈祷されています。。。
どれだけ、カンペキな祈祷をされる由緒ある大神神社のご祈祷を受けられても、
自分自身(の人生や境遇)を信じられない・・・
つまり自身自身の心の中にあるカミサマ(神性。もう一人の自分)も
信じられないとなれば、高額のご祈祷料も、そこで参拝している時間も
あまり意味を成さないような感じがいたしました。。。
こんな感じで、日々、あっちこっち行きますと
いろんな人・光景に出会い、とっても楽しいですし、
ひたすら勉強になります(%ニコ女%)(%音符1%)
最近思うんですが、こんな感じで、
自分以外の人や書籍などの『媒体』を通して、
自分以外の人の経験を先に吸収・学習しておき、
それを自分自身の経験として心の引き出しにどんどん入れ、
必要な時にその引き出しから必要な情報(人様の経験)を出す・・・
ということは、高校2年生の時・・・私を勉強好きにして下さった
世界史の先生と出会って、そして、大学4年間とか卒業後、
心理学の勉強をするために通信教育で3年間、東京の大学で
勉強させて頂いたという『学歴の賜物』だと
今になって感じ、学歴があることに両親や恩師に感謝しています。
学生の間に、正しく勉強するクセ・習慣を私は身につけていたようです。
私自身の36年間の人生経験なんて、たかが知れています。
我流でやっても、大したことも出来ませんし、
それだけでは、成功する自信もありません。
だから人間は、人様が発見したことや、先に経験したことを
学問・教養として学校などで学び、自分自身の経験値として
頭にどんどん吸収・蓄積していくんだと思います。
・・・神社から帰ってからは、昼食後、お昼寝し、読みたい本を読んで
「ちびまる子ちゃん&サザエさん」さらっとおシゴトをし今に至ります。
ほんと、久しぶりに、比較的肩の力を抜けた
すばらしい日曜日となりましたぁ〜(%笑う女%)(%王冠%)