鈍行列車にて。

朝8時半(%ニヤ女%)(%音符1%) (※写真は大阪駅)

自宅から線路沿いの道を歩きながら、

今日も電車が元気よく行き交い…

と同時に駅前の踏み切りは『開かず踏切状態』で、

方々は車が渋滞の列をなしていました。

そんないつもと変わらない朝のラッシュ風景を眺めながら、

駅前のミスドでコーヒーとドーナッツを

いつものように楽しみながら、

一日のスケジュールの確認をし駅に行くと、

ナント★信号機故障の為、乗りたい電車は来ず、

冷たい雨が降る中、30分くらい駅で待たされた揚句、

電車を“間引き”した直後の普通電車が来たので、

朝のラッシュみたいに電車が混んでいました(涙)。

いつもだったら、八尾駅の次の久宝寺駅で

大阪行きの快速電車『大和路快速』と連絡していて、

それに乗って、20分くらいで大阪駅に行けるのですが…。

そんな寿司詰め状態の鈍行列車を天王寺駅まで

15分程度体験していた時、ふっ…と昔のことを思い出しました。

大学時代や卒業した後、尼崎で働いていた時は、

久宝寺駅はまだ快速が止まらなったり、

朝早い電車なんで快速がある時間やなかったりして、

朝の八尾→天王寺間は、いつもこんな過酷な電車に乗っていました。

眠いし、立つのんしんどいし、赤の他人とくっつくのが苦痛…。

そんな苦労をしていた昔の私の卑屈な声が、

心の中から今の私にかすかに聞こえて来ました。

私は、この満員電車のように、

他人=(我が儘で自己中心的、不条理で不倫理な人間・リーダー)が

決めた時間や場所(事柄)通りに動く・生きるのが嫌やったし、

八尾から出るのが嫌やったので、その嫌な生き方から脱却すべく

あれこれ考え行動し、今のライフスタイルを掴むことが出来ました。

今は朝の満員電車に乗ることはあまりないし、

曲がりなり…小さいながらも自分自身の意思と責任を持って

自発的且つ自立的に生きていますので、

そんなライフスタイルが、今は「当たり前」になっています。

今でも自分のため、家族のためにと寿司詰め状態の電車に乗り、

やりたくないこと・・・誰かの無責任な命令で振り回され、

不条理な生き方を選んでいる方々には、

ひたすら頭が下がると同時に、

私自身の今のこの幸せなライフスタイルが、

昔のこの卑屈な経験(苦難)の上に成り立っていることに気付かせて頂いた、

大変貴重な時間となりました。

なお、新今宮駅からは、ダイヤ通りに来た大和路快速に乗れ、

大阪駅まで行けました(なお大阪環状線でも電車トラブルがあり、

結局、八尾から大阪まで1時間50分もかかりました・涙)

だけどほんと、JR線…『大和路快速』サマサマです♪

あと思ったこと。

電車はダイヤが乱れまくり、電車に乗る人たちにとっては

サイアクな状態だった訳ですが、一方で、

JR大和路線沿線を横断する道路では、

信号機故障のため、電車が走ってなかったから、

踏切が下りることもなく、朝のラッシュによる

交通渋滞が一気に解消されたという事実です。

今朝ミスドにいたのはたったの10分くらいでしたが、

ミスドから出たら、あんだけ混んでいた渋滞が消えてたんです…。

つまり、電車の信号機故障は、

その時間帯に踏切を横断された方にとっては

『幸運の出来事』だったということです。

この世の中(娑婆の世界)は、対立の世界、

そして物質(見えるモノ)の世界なので、

A者が幸福になった分、B者が不幸になるという法則があります。

海にある水の量は一定だったとしても、

潮(干潮・満潮)の状態で、増えたり減ったりしているように見えます。

しかしながら、それはあくまで自分自身の目に見える、

ごくごく限られた世界のことであり、

人生や時代、人類の歴史といった

大きくて広くて深い視点(客観的・大局的観点)から見れば、

大勢に影響はない…いい時もあればわるい時もあるという、

バイオリズム(二つの相反する性質の間を行き交う波動)の中に

生かされているのが私たち人間なので、

そのような取った・取られたとチマナコになって、

他人の幸せを搾取しているというド近眼的(盲目)な人生は、

やられた相手の人生以上に、自分自身の心身…

人生自体を破滅させているようです。

このような日常のいち風景からも、学ぶべきことは多いです(%笑う女%)(%王冠%)