市内の道標と碑

日 時 平成25年12月24日(火)
場 所 フレミラ宝塚
主 催 いきいき学舎
 戦国時代までは領土防衛のため、他国から侵入されないように
様々な工夫がされていましたが、関ケ原の合戦が終わると戦いら
しい戦いは大阪夏・冬の陣と島原の乱くらいで、平和な時代となり
ました。
 元禄時代に入りますと、伊勢まいりや三十三所めぐり等、町人
にも旅が許され、道しるべ(道標等)が設置されるようになってきました。

道標とは、目的地・方向・距離などを示した交通標識のことで、
主要街道の交差点や分岐点、社寺の入口や参道などに設置
されているものです。
 宝塚市内には90基余ある由にて、その半数近くは中山寺や
清荒神に関係するものだそうです。
 碑とは、人物や事業の業績または忘れてはならない出来事
などを後世に伝えようとして建立されたものです。
(写真上は県下最古の道標、写真下は与謝蕪村の碑です。)