とかなんとか考えているうちに、
88番・大窪寺手前8キロの本格的な坂道に入ってきました。
そして足も痛くなって来ました。
あれこれ考えるのも面倒になってきて、
足元を見ながら・・・時々顔をあげながら、黙々と歩き続けました。
ここからがホンマの修行のスタートです(笑)。
しんどくない・楽しいのは修行ではありません。
苦悩・苦難があって、
はじめて修行というものが成立するんやと思います。
そんな苦痛の中から『何か』を得たり、捨てたりし、
自分自身の心をじわりじわり・・・もしくは一瞬にして
変えて行くんです。
だから人間は「苦」というものがないと進化・成長出来ないんやと思います。
「楽」ばっかりだと、人生がだれてしまってよくないんやと思います。
水戸黄門の歌で「人生楽ありゃ苦もあるさ〜♪」とありますが、
まさにその歌の真意がよく分かります(TV番組は終ってしまいましたが)。
苦があるから成長出来る。苦があるから、楽に感謝出来る。
さりとて苦ばかりだと、人生しんどいばっかりで生き甲斐がない。
楽と苦。相反する要素(陰陽)があるからこそ、
人生がより彩りが増し、豊かになって行くのではないでしょうか?
黙々と歩いてますと、とうとう夕日になりました。
すると今度はおばあさんに話しかけられました。
「こんくらいの、小さい犬、見なかった?」
って、さぬきに人たちって、
お遍路さんにお尋ねばっかりして来るんですね(笑)。
しばらく歩くと、そのおばあさんが探していたっぽい犬が
前からやって来てその先を見ると、
待ちこがれた、懐かしい景色が見えました☆
あ・・・。着いた!!
88番・大窪寺の境内に入った瞬間、
ナンバープレート88の軽自動車が去って行きました。
よし!!リベンジ、達成!!
お遍路コンプレックス、克服!!!
その瞬間、今まで肩や胸あたりにあった
“心身の重心”が一気に腰あたりまで落ちたようでした。
腰あたりに重心があると、少々横風が吹いても、誰かに押されても、
一瞬はぶれますが、すぐ元に戻り、コケたりしなくなります。
そんな精神的な状態を「信念の確立」というのでしょうか?
40歳を3年3ヶ月後に控えて、
だんだんと芯はしっかりと成って来たという手ごたえがあります。
それもこの歩きお遍路のおかげです。
と同時に、だんだんと人を許す・認めるという許容の精神も
ちょっとずつ広くなって参りました。
私はこの四国遍路道で、歩きお遍路という修行を通して、
一つずつ必要なものを得、不必要なものを捨てて来たんだと思います。
来年は弘法大師空海がこの四国の道を創って1200年になります。
帰りのバスの運転手さんがおっしゃっていましたが、
来年の四国遍路バスツアー(関西大手電鉄系旅行会社の)は例年の4倍の
申込みが既に入っているんだそうです(驚)☆
なんか、とてつもない数字ですが、
だけど、1人でも多くの人たちが、人生の中でこの四国遍路道を体験され、
四国の素晴らしさ、そして自分自身の無限の素晴らしい可能性に気づき、
自分自身の人生をよりよくして、そしてこの国が地球がよくなって欲しいと
願っています。
大窪寺で記念撮影をし、お参りをさせて頂きました。
お寺が閉まる前で誰もおりませんでしたし、
般若心経にも力が入ります(笑)。
実は昨年、大窪寺下のお土産屋さんでお線香を買ったのですが、
キリがいいので、そのお線香を最後の残り・・・一気に50本程点火し、
大窪寺の大師堂のお線香を差す場所ド真ん中にブスっ☆と差して
「しばらく四国参りはしませんので、ここで先祖供養!
よしこちゃんのご先祖様、全員ここで供養します!全員、幸せになって下さい!」と
勝手に言い放ち、最後の最後、拝みまくっていました。
すると、アタマの頂点にポッと500円玉くらいの穴が空き、
その穴から綺麗な青空が見えて、爽やかな風が吹いて来た〜という
摩訶不思議で怪しい(笑)感覚を感じました。
その日はお寺側にある民宿八十窪さんに
泊まらせて頂きました。
ここは大窪寺の宿坊機能の委託をされているようです。
(元々は大窪寺に宿坊があったそうですが、なくなったようで、
その代わりをこの民宿がされているそうです)
<つづく>