明治の教育機関 「成瀬 仁蔵」

平成26年1月7日 (火)午後の部
場所 明石市男女共同参画センター
主催 (財)兵庫県芸術文化協会
講師 茨城一成氏 日本歴史学会会員
 成瀬 仁蔵氏はこれと言って取り上げることはありません。
役人として当然のことを行いました。 行いとしては普通すぎ
たようです。 1876年山口県教員養成所を卒業し、小学校
校長などを務めます。 翌年同郷の沢山保羅(ぼうろ)などの
感化により入信、大阪浪花協会で受洗しました。 組合協会の運動で、同年に設立された梅花女学校の主任教師を務め、翌1879年(明12)には浪花協会に属し、女学校生徒でもあった旧福井藩主の娘と結婚。 しかし伝道活動への意志は強く、教職を辞して牧師としての活動を始めた。
 まず大和郡山協会の初代牧師に就任。その後、その協会を数年で辞職し、新潟第一基督の初代牧師に就任。
 その後アメリカ留学を志し渡米し、アンドーバー神学校に入学。 クラーク大学に移り女子教育を専攻します。 94年1月帰国し梅花女子大学の校長となったが、東京で女子大学設立のため2年後移動、1901年4月日本女子大を設立した。
 ブログを御覧の女性の方々で、卒業された方が居られるかも知れません。 
 明石の講座では、残念ながら手を挙げられた方は年齢的にありませんでした