『法然と親鸞』

(%緑点%)後期講座(歴史コース)(9月〜1月:全15回)の第14回講義の報告です。
・1月14日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:法然と親鸞
・講師:加藤 善朗先生(京都西山短期大学教授)
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(%エンピツ%)講義の内容
1.釈迦の世界観
涅槃(悟り)←人間(苦の世界)
・釈迦の世界観は、シンプルです。人間の生きている世界は苦しみの世界、生きとし生けるものは欲望によって左右される。人間の背負っている愛欲の業を観察して、そういう世界から脱却する。これが釈迦の言うところの「涅槃」(ねはん)、悟りです。
・愛欲を滅ぼす方法を悟ること→「戒」(かい)、「定」(じょう)、「慧」(え)です。「規則を守る」、「精神を集中する」、「智慧を磨いて欲望の虚しさを知る」、そして人生を生きよ。

2.法然の世界観
ひたすら念仏(南無阿弥陀仏)を唱えれば救われる(専修念仏)
・【法然】(1133〜1212年):浄土宗の開祖。主著『選択本願念仏集』。知恩院(中心寺院)。法然にはすぐれた弟子が多い(西山派の証空、鎮西派の弁長、真宗派の親鸞など)。
・戦乱や飢饉が続き、末法の世に入ったという不安が世の中を覆う時代、庶民の不安や苦しみを救おうという僧侶が現われた。…法然は源信の『往生要集』に導かれ、中国(唐時代)の善導の『観経疏』(かんぎょうしょ)のなかにある浄土思想を根拠にして、「念仏を口で南無阿弥陀仏と唱えれば必ず極楽へ往生することができる」という新しい念仏の教えを説いた。
『三昧発得記』(さんまいほっとくき)[法然上人の宗教体験を記録した書(親鸞書写の『西方指南書』に収録)]…*(注)「三昧」(さんまい)とは、心が一つの対象に集中して散乱しない状態をいう。念仏の深化した状態をさして念仏三昧という。
「法然上人は、建久九年(1198)1月1日から37日間、毎日、七万遍の念仏を行い、称名念仏中に浄土の聖相をまのあたりに観られた(極楽の様子が観えてきた)。」≪(念仏の最中に、自然に光明が現われたり(日想観)、水想観、宝地観、宝樹観などの観想を成就したり、あるいは、阿弥陀三尊が出現、鳥の声、琴・笛の音も聞こえたと伝えられている。この宗教体験は、念仏の最中に自然に顕現したものとみられる。≫
津戸三郎為守宛書状…津戸三郎為守は、法然に帰依した頼朝の御家人(関東武士)。関東で念仏の詮議があると、津戸に書状によってきめ細かな指示を与えている。→法然は、.どんな人(貴族、庶民、女性、悪人)でも平等に説く念仏信仰の道を求めた。

3.親鸞の世界観
○法然の教えを一歩進め、いっさいの計らいを捨てて阿弥陀様にお任せすることで救われる(絶対他力)。悪人正機説(善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや)
・【親鸞】(1173〜1162年):浄土真宗の開祖。別名、「綽空」、「善信」といい、愚禿と号す。主著『教行信証』、東・西本願寺(中心寺院)
親鸞の夢
(1)「1201(建仁元)年(親鸞29歳)、比叡山延暦寺と決別して下山し、六角堂へ百日参籠し、救世観音の夢告を得て、法然(吉水源空)の門下につく。」
《六角堂の夢告-「観音さんが女の姿になって、お前の奥さんになって、一生お前を守り、お前の臨終に際しては、引導を渡して極楽へ導きましょう」》…親鸞はあえて、公然と肉食妻帯に踏み切った(仏教における一大革命)。
(2)「1205(元久2)年、親鸞、法然より『選択本願念仏集』(「選択集」)の書写を許され、また、法然の絵像を図画(ずえ)する。」…これまで『選択集」の書写を許されたのは証空・弁長ら五人の高弟だけで、親鸞は入門して四年で書写をゆるされたのは、専修念仏の真剣な取り組みを法然が高く評価したのである。
(3)親鸞は、師である法然上人の法語・伝記・書簡・行状などを編集ー『西方指南抄』。(*右上の資料を参照)。
流罪になった法然と親鸞[建永(1207年)の法難(念仏への迫害)]…法然(75歳)は讃岐国、親鸞は越後国に流罪(*親鸞は越後の流罪から関東各地で布教した20数年間に、悪人とされる人々と生活する中で、彼らこそが阿弥陀如来の「本願」につつまれている存在と確信したのである。)
親鸞の世界観
二種廻向の思想[往相廻向・還相廻向]…生まれ変わり。念仏者は永遠にこの世とあの世を旅をする(生から死へ、死から生へと続く永遠の旅を遺伝子はつづけている)。

4.まとめ
法然と親鸞は、念仏信仰によって仏教を民衆に開放した。←(平安期の仏教は、寺の建立など種々の功徳を積み、その功徳の力によって極楽に往生きしようとする諸行往生を説くもので、裕福でない庶民にとってはまだまだ遠い教えであった。)

浄土図は「あの世」の地図
☆当麻曼荼羅は、西方阿弥陀浄土が精密に描かれたものである。この当麻曼荼羅を見ることにより、人々は来世に救いを求めることができるのである。…庶民は、視覚的に、しかも具体的に阿弥陀浄土を教えられ、導かれていくのである。(法然の弟子、証空は、当麻曼荼羅から、法然上人の教えをみた)
入り日をみること(自分の立っている場所を知り、地球との繋がりを確認する。かなたは立ち上がる力を与えてくれる)
蓮華化生(極楽に行く。すでに私たちには指定席がある)
極楽に往って戻ってくる(命の繋がりを認識すること)

**参考文献**
「梅原猛の授業 仏教」梅原猛著(朝日新聞社、 2002年)
「法然と親鸞」武田鏡村著(PHP研究所、2011年)