飛んでけ!希望のしゃぼん玉☆

ベトナムの孤児院へ行ってきました

赤ちゃんから中学生まで、多くの子ども達がここで一緒に生活をしている

みんな元気!(%ニコ男%)(%ニコ女%)

カルタ・折り紙・しゃぼん玉と持っていった日本のおもちゃ達は次々と消えていく

しゃぼん玉遊びを取り仕切る子もいれば
ひたすら折り紙する子もいれば
カルタの遊び方を開発する子もいれば
まだ何か出てくるかと私に期待の眼差しを寄せ続ける子もいる

いいじゃない いいじゃない
みんな違っていいじゃない!
本当そんな感じ(%ひよこ%)

あまり広くは無いけれど三階建てのお家
ピアノとパソコンが一台置いてあった
狭い階段を上がった最上階には数日前に来たばかりの赤ちゃんが2人
哺乳瓶でミルクを飲んでいた
ボランティアの女性二人が付きっきりでお世話をし、たくさんの
「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」が覗き込んでいた

ここを運営するのはベトナム人女性のドンさん
子ども達の養育費はダンボールや空き缶などの廃品回収によるものだと言う
しかし当然それでは足りない
その不足分はレストランHuong Laiのオーナーによるもの
レストランの売上金を充てていた
また、レストランを訪れた日本の方が毎月寄付をしているようだった

簡単な報告書と内訳を見たが、
売上金と寄付金の全ては
ミルク・食費・年1回の服代(ベトナムではお正月に子どもに服をプレゼントする)できれいに無くなっていた

孤児院にいるたくさんの子ども達
「彼(女)らの元気な笑顔の数だけ希望がある」
それは(そう思いたい)っていう大人の気持ちから見えるものなのかも
もしかしたら勝手な解釈かもしれない

だって

ずっと私の身体にくっついてくる子の瞳
静かにミルクを飲む赤ちゃんの瞳
別れ際の子ども達の瞳

そこには未だ満たされていないものが確実に映っていたから

「希望をカタチにできるよ」って胸張って言えない気がした
社会はまだ未熟なんだって認めずにはいられなかった

日本では「NPOの情報発信」がキーになってきているが、
「情報発信ツール」はもちろんのこと、聞く耳すら未だ持たぬ社会の中では
「個人」の活動がいかに厳しいのか、認識を新たにした

子どもの希望をカタチにできる社会
「夢はなーに?」ってまず聞く方が胸張って聞けるようにならなきゃ
受け止められる社会を作らなきゃ

一歩一歩私なりにやっていこうっと(%左足%)(%右足%)