日 時 平成26年1月27日(月)
場 所 芦屋市民センター
主 催 芦屋公民館
不易流行を言い出したのは松尾芭蕉と言われています。
不易とは、万代を経て変わらないことを言い、伝統芸能などに
多く使われる言葉で、一方 流行とは、その時々に変化しはやる
ことを言います。
もちろん芭蕉の俳句は現代にも脈々と生きており、まさに不易
と言えますが、実は芭蕉は常に新しさを求めていたとされ、当時はその俳句は新鮮そのものでした。
すなわちその頃は流行の部類に入っていたとも言えますが、しかし芭蕉は新しきを求めることが不易に通ずると考えていた節があります。
遡って平安時代の『奥儀抄(藤原清輔)』には、「漢書云、俳諧者滑稽也。滑稽酒器也。・・・」とあり、歌を詠む者は滑稽であってとっくりのようにうまい酒が次々と出てくるようなものだ記載されていて、常に新しくなければ本当の俳諧者になり得ないと語っています。
芭蕉の『野ざらし紀行』に、「・・・三更月下無可に入と云けむ・・・」(夜がふけた月の下で全てのことにこだわらない世界に入る)と述べており、そのような心境によって新しい世界(こざかしい人間の知恵を超えたところ)を求め、不易を追求したのではないでしょうか。
結果 「不易は流行であり、流行もまた不易である。」が結論のようです。