祖国への復讐に燃える

日 時 平成26年1月31日(金)
場 所 鳴尾公民館
主 催 鳴尾公民館活動推進員会
 中国は司馬遷(後漢時代の人)の著した「史記」に登場する
伍子胥(春秋時代の人)の復讐劇についてのお話しでした。
 司馬遷が「史記」を書くようになったいきさつは、父が楚国の
大史令(図書館長)の職にあり、昔からの伝承をまとめようと
着手したものの病没したため、それを引き継いだものです。
 内容は歴史書ではありますが、時代別ではなく歴代の王の話し(本紀)と臣下の活躍等の話し(列伝)の人物別に編集されています。
 今回取り上げられた伍子胥は楚の重臣の息子でしたが、父と兄が讒言によって楚王(平王)に処刑されたことから、復讐を誓って亡命し艱難辛苦の末、呉の将軍となります。
 当時 呉には「孫子の兵法」を書いたと言われる孫武も居て、勇猛な伍子胥と知略の孫武を得た呉は、ついに楚に攻め込み都の郢(えい)を陥落させました。
 これにより伍子胥の復讐は成ったやに見えましたが、平王はすでに病死しており、しかたなくその墓を暴いて死体を三百回も鞭を打ったと言われています。
 司馬遷をして、「人の恨みは、何と深いことか。」と言わしめ、伍子胥は恥を背負いながらも復讐に全てをささげたことで、その名を後世に残しました。(写真は伍子胥:ネット)