日 時 平成24年3月2日(金)
場 所 池田泉州銀行講堂
講 師 水野正好氏(大阪文化財センター)
第29代欽明天皇の頃、百済の聖明王によって仏教が伝来しま
すが、日本はもともと神道の国でそれをつかさどる物部氏や中臣
氏と崇仏派の渡来人・司馬氏、錦織氏や蘇我氏が対立します。
第31代用明天皇(聖徳太子の父)は、仏教信仰の是非を群臣
に問うたところ対立抗争が極度に高まり、やがて蘇我氏と物部氏
が武力衝突してしまいます。
結果 物部氏が敗れたこともあって、国政としては仏教定着の基礎が固まり、第33代推古天皇(史上初の女帝)へと引き継がれていきました。
ここに推古天皇(国政の全体を見る)、聖徳太子(摂政となる)、蘇我氏(政治の実行)のトライアングルが成立し、仏教国家へと傾斜していきます。
そこでなによりも寺院の建設が急がれ、日本は百済に対して僧侶・絵師・工人等の派遣と仏像や仏画等の調達を依頼いたします。
蘇我氏は飛鳥寺等を建て、聖徳太子は物部氏の遺産の跡地に四天王寺(写真は復原図)を建設しますが、ここの周辺には現在でいう病院や薬局等も配置し、人々の救済をも目的とされました。
ただこの三者もギクシャクしはじめ、太子は距離をおくため、居を飛鳥から斑鳩へ移すことになります。