気づき⑥『心眼』の覚醒(目覚め)

<35番・青龍寺の階段>

四国遍路道を歩いてますと、

『囚われる心』というものが無くなってきます。

本当に面白いシステムが四国遍路道には存在します。

『囚われる心』とは、目に見えるものしか信じない心、そして

自分の欲求(願望)さえ満たされればいいという煩悩などです。

これらを総称して『わがまま』というものでしょうか。

『囚われる心』が無くなってきますと、

『心眼』の覚醒(目覚め)が起こり、

「目には見えないけれど、確実に存在するもの」が見えて来ます。

つまり「ありのまま」が見えてきます。

こうなって来ますと、怖いものがなくなって来ます。

例えば、急に仕事でトラブっても、身体を故障しても、

「これは、今の自分に必要だから起こっている苦難だ」と

すなおに受け入れ、冷静且つ的確に対処出来るようになってきます。

苦難とは

①自分自身の今のアカン心を正常なところに戻してくれるもの。(マイナス→ゼロ)

②よりよい自分にステップアップさせてくれるもの。(ゼロ→プラス)

このいづれかの理由で起こるものだと思います。

だから、この「苦難」というものを手探りに人生修行をスナオに行ってますと

自然と自分自身のあるべき姿や状態に、勝手に成っていきます。

だからいちいち来る苦難に対してマイナス感情になる必要もないし、

そんな感情になって、気分や状況が停滞している

時間やエネルギーの浪費が無駄となります。