<愛媛県大洲市のみかん畑&菜の花畑風景→>
結局のところ今までの遍路修行で分かったことは、
真実のカケラ・カケラと、
「自分自身はたくさんの知らないことがある」ということ。
そして知らないからこそ、
自分自身は“無限の可能性を秘めた宇宙”なんだと気づく。
宇宙は私たちが暮らす地球の遥か彼方にある訳でなく、
私たちの周りから既に宇宙空間は拡がっている。
そして私たちの身体、そして心も一つ一つ宇宙である。
宇宙とは、『無限に拡がる可能性』という意味であり、
空海はそれを『空(くう)』と呼んだのではないでしょうか?
有無は人間の…娑婆の見える世界の物差しであり、
全てはこの『空』から始まり、
自己努力(自力本願)と天の力(他力本願)の合一によって、
全ての物事・事象は成り立ってゆくのではないでしょうか?
みんなでワイワイ遍路もいい。いろんなものをくれるし、教えてくれる。
だけど自分自身の内なる声があまり聞こえない。
私の気(意識)は、外に向いて、気が散っている。
自分自身の心を探りたければやはり一人で遍路(修業)すべきだと気づく。
私は常に内観している。
人がどうこう…評価はあまり気にしない。
気にするのは、自分自身がどれだけ納得し、満足しているかだ。
何故なら、自分自身の幸福は他人が決めるものでなく、
自分自身が感じ、決めるものだから。
遍路は行くとなぜか理屈なしにすばらしいし、
理にも叶っている。
その理を私はなるべくロジカルに分かりやすく説明したいな〜。