気づき12 「凡人が修行して分かるのは『真実のカケラ』だけ」

<愛媛県大洲市のみかん畑&菜の花畑風景→>

結局のところ今までの遍路修行で分かったことは、

真実のカケラ・カケラと、

「自分自身はたくさんの知らないことがある」ということ。

そして知らないからこそ、

自分自身は“無限の可能性を秘めた宇宙”なんだと気づく。

宇宙は私たちが暮らす地球の遥か彼方にある訳でなく、

私たちの周りから既に宇宙空間は拡がっている。

そして私たちの身体、そして心も一つ一つ宇宙である。

宇宙とは、『無限に拡がる可能性』という意味であり、

空海はそれを『空(くう)』と呼んだのではないでしょうか?

有無は人間の…娑婆の見える世界の物差しであり、

全てはこの『空』から始まり、

自己努力(自力本願)と天の力(他力本願)の合一によって、

全ての物事・事象は成り立ってゆくのではないでしょうか?

みんなでワイワイ遍路もいい。いろんなものをくれるし、教えてくれる。

だけど自分自身の内なる声があまり聞こえない。

私の気(意識)は、外に向いて、気が散っている。

自分自身の心を探りたければやはり一人で遍路(修業)すべきだと気づく。

私は常に内観している。

人がどうこう…評価はあまり気にしない。

気にするのは、自分自身がどれだけ納得し、満足しているかだ。

何故なら、自分自身の幸福は他人が決めるものでなく、

自分自身が感じ、決めるものだから。

遍路は行くとなぜか理屈なしにすばらしいし、

理にも叶っている。

その理を私はなるべくロジカルに分かりやすく説明したいな〜。