気づき15 「人を見下さない」

日々一所懸命やっている。頑張っている・・・

そんな人を「イケテない」「デキテない」と

批判するのは、どうだろうか?・・・と思うようになりました。

私の場合、今一緒に生きている同世代の人たりを見渡せば、

物事の道理が見えて来た方で、

見間違いによる失敗は比較的少ないようですが、

物事の摂理(正論)という武器で、人を勝手に裁き、

判断している『責め心』がある人間だと、自分自身を分析しています。

仏教用語で、物事の道理が分からない罪を『世執』、

物事の道理を知る人間が知らない人間を勝手に裁く罪を

『法執』と言うそうです。

以上の2つの執拗な心の罪を完全に消し、

全て(ありのまま)を認め、受け入れ、

許し切ることが、修業の最終段階であり、

幸福満足度に大きく関わっているようです。

そんな『法執』を越える慈愛の境地に

なかなか行けない、私です。

そんな境地に行く、最初のステップは、

『自分自身のありのままを認め、受け入れ、許し切る』

ことだと、だんだん見えて来ました。

『過信』ではなく『自信』。

…自分自身の無限の可能性を信じ、

希望を持って未来に向かって精進してゆく。

そんな自分自身の生き様を素直に直視し、

確実に与えられた人生を歩んでいる人は、

人を批判する時間(心の隙間)はないと思います。

ただ、こうした方がその人の人生がよりよくなる場合は、

慈愛の精神を持って、

アドバイスやサポートをして差し上げればいいかと思います。

そんなことがだんだん分かって来たので、

そのような人たちを意図的に避けるのはやめて、

時間の都合がつくかぎり、喜んで関わって参りたいと

思えるようになりました。

相手がどのようなレベルがあれ・・・人間であれ、

どんな人でも好きになって、全てを受け入れて

協調し合える、調和の取れた自分自身を目指したいと思います。

それがきっと、自分自身の成長にも繋がると

今はそう、確信しています。

・・・自分にとってご縁のない人は、

私の前からいずれ去っていくものですし、

ご縁のある人は、ずっと私の周りにおられるのですから・・・。

全ては『オマカセ』の境地です。