我が家のイロハモミジが
美しい新緑の季節を教えてくれています(^^)
これからエネルギッシュな夏に向けて
なんだかワクワクします。
今年の夏も、海とか行ってみたいです〜(%ニヤ女%)(%ハート%)
ふっ・・・と雑感です。
潮の満ち引き加減のように…
身近な人間同士(組織)の性格や個性、
価値観のアンバランス・不均等さはあるにしても、
全体としてはちょうどよい「アンバイ(案配)」に
保たれているように思います。
一番解りやすい事例が『夫婦』という組織。
片一方がおおざっぱでテキトーだったら、
もう一方がきっちり几帳面に成ってきます。
片一方が右脳的で超感覚的に動くと、
もう一方は左脳的でロジカルに動きます。
そんな感じで自然と、
組織全体で“陰陽(相反する要素)”のバランスを
整えるように出来ているようです。
我が両親も水と油のような典型的な陰陽関係で、
毎日仲良くケンカしながら、
バランス良く過ごしているようです(笑)。
また一方で、人間の人生というものは、
ありとあらゆる陰陽の要素の間を
“バイオリズム”を描きながら連続的に行き来するもので、
その過程そのものが『修業』のようです。
先日面白い話を聞きました。
日本人が生まれて、日本語を覚えて行く過程で、
言葉と同時に無意識のうちに日本人としての
“魂”〜アイデンティティ(価値観)〜を
体得しているそうです。
だから10歳くらいまでは
徹底した日本語教育が大切なんだそうです。
“コトダマ(言霊)”と言いますが、
言葉には魂が宿っているようです。
きっと、私たち日本人の血(DNA)にも、
蓄積された日本人の魂(『大和魂』という名の想いや祈り)
が宿っていて、それが脈々と継承され続けているのだと思います。
一方で、赤ちゃんの時から
英才教育で英語を学ばせている親が存在します。
私が親だったら絶対しませんが、それもアリかと思います。
何故かと言いますと、そんな国際感覚を持った人材も、
ある程度は必要だからです。
組織にも国家にもあらゆる個性を持った人材が必要であり、
その為にはあらゆるバリエーションの教育も必要だと思います。
あと民族を滅ぼそうと思えば、
その民族固有の言葉を抹殺すれば自然と魂・血筋が
絶えるということも聞きました。
そんなことが見えて来ると、
今世界を事実上支配している欧米諸国の民族的『罪』は時空を越え、
とてつもなく大きいと分かります。
オバマ大統領が来日していましたが、
アメリカは建国からの歴史は浅いですが、
この国家に属する人たちも相当、罪のない人を殺し、
廃除しまくって来た国家であります
(いいことも多数しているかと思われますが)。
日本の従軍慰安婦問題とか大東亜戦争の時の事とか、
例えそれが史実であったとしても、
地球全体の罪からすれば、
日本人が侵した罪は相対的に軽いのは明らかかと思われます。
ホンマ、我々日本人に言葉巧みに自虐心や
西洋至上主義を植えつけ続けられ、本当に腹が立ちますが、
やられた私たちにも問題があるので、仕方がありません。
…私たち日本人は太古より
『和』を重んじる精神を持つ民族ですので、
過去やられた事は『水に流し』、
対立を超克した“大調和的解決方法”を、
世界に対して見出だしてゆきたいものです。
対立は結局のところ、
より深い対立しか生んでゆかないということを、
私たち地球人はエエカゲン肝に銘じて、
的確に実践し続けてゆかなければなりませんよね。
…また対立するということは、
双方が「自分は正しい」と、『二つの正義』が存在し、
妥協や融和が無くそれらが衝突している状態にあります。
こんな感じで、人間(娑婆)の世界には、
人間や組織の数だけ“正義”というものが存在します。
ある人から見たら邪教であっても、
別の人から見れば正しい教えだったりします。
上記とセットで、人間の世界には『100%正しい』
ということも存在しません。
つまり人間は「不完全な存在」なので、
100%正しいことは分からないし、
実践出来ない存在なんだと思います。
だから『我々は100%正しい』と豪語する人間や
組織は過信の罪に苛まれ、
神や仏という人間を越えた絶対的存在を冒涜した偽物であります。
神や仏が、人を騙したり搾取したり人殺しを容認する訳がありません。
一方、そんな不完全な人間だからこそ、
神や仏といった類の『絶対的な存在』に委ねたくなります。
神仏に手を合わせるという信仰心のある人間のタイプは、
大きく分けて二つあるような気がします。
一つは、自身の怠慢や我が儘等の自身のマイナス感情(罪)、
はたまたその人の家系や組織の罪が積もり積もって“八方塞がり”になり、
どうしようもなくなってから、『他力本願』で
神仏に全てを委ねるタイプです。
このような崖っぷちに立った人間は、邪教の餌食になり、
人生が更に堕ちてゆく可能性が高いようです。
二つ目は、人生修業の根本は『自力本願』だと理解し、
最大限の自己努力を重ねている上で、
神仏に祈りを捧げながら信念を練り上げて、
自分自身と神仏との縁を深め、
そこから人間の力を越えた『おかげさまの力』を頂き、
物事を成就させようというやり方をする人です。
信仰とは、神社やお寺…特定の対象物や場所、
人間に手を合わせることはあくまで「表面的なもの」であり、
その奥にある根本は
『自分自身(今を共に生きる仲間・祖先・子孫含む)の現在過去未来の人生で、
お世話になっている“全てのもの”に感謝するという
“有難い・お陰様の心”を高め深めること』なんだと捉えています。
で、そんな心を育む為のやり方(教え)が、
本来の「宗教」というものなんだと思います。
(※その「宗教」を使って、一部の権力者が利益をむさぼるのは
「宗教」ではなく、『宗教ビジネス』であり、
これらを混同している現代日本人がとても多いです)
そんな心を高め深める程、人間は幸せに成って行くというのが、
人間の幸福論の本質…だからこそ、
私たち日本人の祖先は太古の昔から、
神社やお寺に、そんなメッセージを遺すべく、
継承し守り抜いて来たのではないでしょうか。
また人間にとって信仰(信じて仰ぐこと)とは、
朝顔が巻き付く“棒”のようなものだと思います。
人間を人間たらしめているものこそが
『信仰』のような気が何となくしています。
朝顔に棒が無ければ、いつまで経っても地を這うだけで、
空(上)に向かってつるを伸ばすことは出来ません。
本来の人間としての向上(成長・進化・躍進)はない訳です。
例えば鳩は、何代下っても同じ動きをする鳩のままで、
神社や駅のホームでひたすら食べ物を探すべく日々ウロウロし、
時が来たら眠ったり交尾して繁殖し続けるだけです。
そこに『進化』というものがありません。
しかしながら人間には『霊性』というものがあり、
良くも悪くも進化し続け、明らかに鳩のような
動物(本能)的動作を繰り返す動物とは違います。
信仰というものは、この『霊性』を磨き高める…
人間の叡智が詰まり、理に叶った方法であり、
在り方そのものだと感じています。
残念なことは、
信仰心がない…霊性が欠如した
動物的な生き方をした人間(大人)が多いということです。
町で行き交う不特定多数の大人を観察してますと、
人間の体(てい)をしたタヌキやキツネという哺乳類…
はたまたカエルやヘビという爬虫類のような…
人間に進化しきっていない“ヒト”がいます。
それはそれでしかたない&どうしようも出来ないのですが、
そのようなヒトが、我々“人間”からしたら
有り得ないことを次から次へと引き起こし、
人間社会(地球環境)を益々混乱に陥れていくから困ります。
が、そんな困難・苦難があることにより、人間を磨き高めて
人間だけでなく地球全体を強く正しくして行くのだと私は考えています。
起こることは全て必然であり、『全て善い』と笑顔で思い切ることが、
この苦難だらけの地球で、
たくましく生き抜いて行くには必要不可欠なんかなと思います。
最近こんなことを考えるのが
ますます楽しいよしこちゃんでデス(笑)(%笑う女%)(%王冠%)