高砂と相生の松

日 時 平成26年4月26日(土)
場 所 ソリオホール
主 催 宝塚市文化財団
 能の「高砂(たかさご)」は、その昔九州・阿蘇の神主が京に
上る途中、高砂の浦で老夫婦に出会い、「住吉の松と高砂の
松とは相生の松と呼ばれているがそれはどれか。」と訪ねた
ところ、「これがその松です。」と教えます。
 この老夫婦は遠く離れて暮らしていると聞き、理由を尋ねま
すと、姥は「たとえ遠く離れていても、心が通じ合っているので決して遠くはなく、相生(ペア)です。」と説きました。
 すなわち、高砂の松(尉)+住吉の松(姥)=相生の松 ということでしょう。
 なお「たかさご」の地名の由来ですが、「高」は「コウ→たかい」からきており、「砂」は「サ・シャ→すな・いさご」からで、「高砂」は「たかいいさご→たかさご」と変化したものだそうです。
 また「高砂」は瀬戸内海の重要な中継地点でもありました。
 たとえば、平安時代末期に時の高倉上皇(平 清盛の娘の徳子の夫・安徳天皇の父)が厳島神社へお参りの途中、船をここ高砂に碇泊させています。
 能「高砂」の後半は、老夫婦は神主に自分達は相生の松の精であることを明かし、「住吉で待っています。」と告げて、小舟で沖へ出て行きました。