古代吉備の神乃邊

日 時 平成26年5月4日(日)
場 所 兵庫県民会館
主 催 兵庫歴史研究会
 吉備国とは、現在の岡山県を中心とした範囲のことで、当時の
大和朝廷や出雲王国に匹敵する力を保持していた地域です。
 古代の吉備・神乃邊(コウノベ)の神域は、広義では出雲(出雲
佐太神社)・播磨(兎原住吉神社)・伊予東(大山祇神社)・土佐
北(石尾神社)の範囲と言われ賽の神を祀る神社が存在した由。
 また狭義では、神乃邊(=神部=加賀美)は現岡山・津山市が含まれるとのことでした。
 (もっとも、研究者の間では総社を中心とした周辺と公言しているのだとか。)
 神乃邊には、東さん・西さん・南さん・北さんなる性の家があり、この神域を守っていたとされています。
 この地域はその昔は海に面していて、海運を生業にしていた他、先端技術(製鉄や食料生産能力)を持ってかなり繁栄していたところであったそうです。
 なお伝承ですが、神乃邊出身者として「高屋阿波良姫」が居る由にて、この人の娘・伊香色謎命(いかがしこめ)は孝元天皇(第8代)の妃となり、後に開花天皇(第9代)の皇后となって、その子供に崇神天皇(第10代)が、また孫に垂仁天皇(第11代)が居たとされています。
 同じ孫(日本書紀ではひ孫)に武内宿禰(タケノウチノスクネ)も存在し、吉備の建部町品田(品田別尊→第15代・応神天皇にも関係あり?)に居住していたのではと推測しているとのことでした。