この記事は、市民協復興応援バスツァーにご一緒に参加した友人が寄稿して下さいました。
被災地の様子、スリーA脳活性化ゲーム初体験のことも書いて下さっています。写真や注釈は福井恵子が書いています。
(運営委員 福井恵子)
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特別支援学校教諭 佐々木郁子(木更津市在住)
写真・・・花見山公園
4月12日(土)・13日(日)に市民福祉団体全国協議会主催の被災地応援ツアーに参加し、福島市の花見山公園と宮城県山元町を訪問しました。
私は初めての参加でしたが、もう16回も開催しているバスツアーということで、10回以上参加している方もいました。初めての参加の方は私以外にも数名いらっしゃり、新しい参加者も温かく迎えてくださったツアーでした。
バスは順調に走り、予定よりも早く福島に到着。「NPO法人花見山を守る会」への被災地応援として、数年前に桜の苗木を植えた方は、ご自分の苗木を探しながら、急な坂道を登っていきました。愛おしそうに苗木の根元に肥料をあげて、記念の写真を撮る方もいました。そんな参加者の様子を見て、私も桜の苗木を申し込めばよかったと思いました。自分の苗木を植えていれば、自分の桜に会いたいと思い、また来年もツアーに参加するような気がします。今年は、ツアーの時期が桜の満開の時期に重なり、薄いピンクに染まった山を見ることができました。年々桜の時期のお客さんが減ってきていると、地元の方にお聞きし、継続的な支援や応援が必要なことを実感しました。
注・花見山公園を守る会は、被災者(みなし仮設)の居場所として開放、バザー・震災孤児への基金・植樹や荒れた山を再生するために被災者の働き場所にもなっています。現在の花見山公園として有名なところは、直ぐお隣の山ですが、守る会の山も、もう一つの花見山公園になる日も近いでしょう。
写真・・・白石城
花見山を後にして、宿泊場所の宮城県白石市のホテルに向かいました。夕食までの時間に、有志で近くの白石城に桜を見にいきました。満開の桜を見上げたり、夕日に映えるお城をバックに写真を撮ったりして短い時間でしたが、楽しく過ごすことができました。バスでの移動が主のツアーですので、自分で歩いて街を散策することができ、よかったです。
夜は、夕食を兼ねての交流会でした。交流会では、自己紹介の後、被災地岩手県から参加したご夫婦が活動されているお話を聞いたり、誘っていただいた福井さんが参加しているNPO法人認知症予防ネットで取り組んでいる認知症予防ゲーム「スリーAゲーム」を参加者のみなさんで行ったりして、交流を深めました。
「スリーAゲーム」は話に聞いたり、ネットで読んだりはしていましたが、実際に行うのは初めてたったので、興味深く参加しました。「スリーA」という言葉が「あかるく あたまをつかって あきらめない」の3つの「あ=A」から命名されたことも初めて知りました。福井さんは、昨年、日本認知症予防学会の第3回学術集会での実践報告で「浦上賞」を受賞されたことや、被災地始め全国を飛び回って脳活性化ゲーム「スリーA方式」を普及するために研修会や会合で実践されていることは知っていました。でも、実践するのは初めてでしたが、評判通りの楽しいゲームでした。
「本当は、この形(夕食時のテーブルに座ったままで、福井さんだけが立っている)ではなく、全員が丸く輪になって行えると、参加者全員が対等な関係になれていいのです。」という福井さんの言葉は、「スリーA方式」脳活性化ゲームの神髄を表しているのだろうと思いました。福井さんは、明るく元気にゲームを進めてくださいました。ゲームをすべて覚えてはいないのですが、右手と左手を交互にグーとパーにする「グッパー体操」は難しかったです。胸に当てる手をグー、前に伸ばす手をパーにするのは、考えずにリズミカルにできるのですが、反対に胸に当てる手をパー、前に伸ばす手をグーにするのは難しくて、考えながらやっても、前に伸ばす手がパーになってしまうことが多かったです。でも、失敗しても笑い合えるのが、「スリーA方式」の3本柱のひとつの「笑い」。失敗しても笑いながら楽しくゲームに参加できるのは、細やかな配慮や言葉かけを大切にした「優しさのシャワー」のお陰。楽しくゲームに参加することで、いろいろな効果が期待できる「スリーA方式」脳活性化ゲームを実践できたことが、このツアーに参加した大きな収穫のひとつでした。福井さん、ありがとうございました。
写真・・・ささえ愛山元
2日目は、宮城県山元町の「NPO法人 ささえ愛山元」という高齢者のデイケア施設にお邪魔して、震災当時からの様子をパーワーポイントで説明していただいたり、被災者の方の手作りの品を購入したりしました。
代表の中村さんのお話は、もちろん直に震災当時のお話を聞くことができて、よかったのですが、
私の心に深く残ったのは、この建物の近くにあった保育所の子どもたちについての話と、保育所跡にあった花の数々でした。カーテンを裂いてつなげた物を投げて、津波で流されていた子どもたちを数人助けることができたけれど、助けられずに目の前を流されていった子どもたちがいたこと。保育所跡は、瓦礫がきれいに片付けられていて、その真ん中に花の祭壇のようなものがあり、きれいな花が飾られていました。亡くなった子どもたちの保護者が、いつも花を飾っていらっしゃるだろうと思うと、胸が痛かったです。
写真・・・学校(津波のことを考えて、建設された小学校。屋根裏の物置に児童は逃げて助かり、流れてきた衣装ケースをトイレに使った。先生の「懐中電灯2本、食べ物はありません、お家にも帰れません、ここでみんなで寝ます」どんなに不安な夜を過ごしたことでしょう〜後世に残すために保存されるそうです。)
その後、山元町をバスで案内していただきました。「今は何もないですが、震災前は○○○がありました。」というフレーズが何度も出てきて、しかも説明してくださっている方の自宅前では、自宅とともにおばあさんが津波で流されたという話を聞き、ここでも胸が痛かったです。(代表の中村さんもご主人とお家もろとも流されたそうです)
その後のイチゴ狩りでは、おいしいイチゴをたくさんいただき、新しくできた「ささえ愛山元」の施設を訪問した後、帰路につきました。
2日間の被災地応援ツアーは、楽しいことや有意義な経験をたくさんすることができました。来年も参加することができたら、自分の桜を植えたいと思っています。
2日間、お世話になった方々、誘ってくださった福井さん、ありがとうございました。
<追伸>
先日、知り合いの高齢のご婦人が認知症になったことを知り、病院にお見舞いに行きました。3月の始めにお目にかかったときは、お元気で楽しそうにお話していた方が、話すことも立つこともできず、手を動かすことも難しそうで、寝たきりになっている姿に衝撃を受けました。どうしてこうなったのかは、詳しくはわかりませんが、日頃から「スリーA方式」脳活性化ゲームを実践していれば、これほど急激に身体もコミュニケーション能力も低下せずにすんだのかもしれないと思いました。もう一度、笑いながらお話ができるようにと願いながら、病院を後にしました。
注:本文にある、津波跡地には何にもありません。津波は先に見える山(高台)にぶつかったそうです。この地区では、家の柱1本でも残っていれば、修理をして住むことが出来るそうです。交通手段の駅の跡地2つも、プラットホームの一部しか残っていません。盛り土をして復興の予定だそうです。
苺狩りは、津波以前はハウス栽培のイチゴ農家が多くあったそうです。再開された農園へお祝いの苺狩りでした。パックに自分で摘んだ苺を詰めてお土産に頂きました。とても甘くて酸っぱくて苺らしい味でした。久しぶりにお腹一杯頂きました。