戦国時代の快男児

日 時 平成26年5月21日(水)
場 所 宝塚男女共同参画センター
主 催 みれん歴史歩こう会
 戦国時代に九州で名を馳せた立花宗茂についての解説でした。
 宗茂は1567年に高橋紹連の長男として誕生いたしました。
 当時の九州は、大友氏・竜造寺氏・島津氏の三者の勢力が
拮抗しておりました。
 大友氏の家臣に高橋紹連と後に義父になる立花道雪が居ました
 立花氏には娘しかおらず、宗茂15才の時に懇願されて高橋氏から立花氏へ養子に入ります。
 しかしそれに先立つ3年前に大友氏は耳川の戦いにおいて島津氏に大敗し、勢力は衰えていました。
 そのような中、豊臣秀吉が九州征伐に乗り出し、宗茂はその先鋒として大功をあげたため、大友氏を離れて豊臣氏の直臣となって柳川11万石に封ぜられました。
 ところが関ケ原の合戦において西軍に属したため改易となり、浪人となって京都〜江戸へ流れていき、蟄居生活を送っていたところ、本多忠勝の推挙で徳川秀忠の相伴衆に列せられ、やがて1万石の大名へと復帰いたします。(かつて秀吉は「東の本多忠勝、西の立花宗茂」と称賛していた由。)
 そして大阪の陣後、旧領の柳川に再び10万石を与えられましたが、改易となって再び旧領に復帰した例は、後にも先にも宗茂以外になく、正に唯一の人と言えます。
 宗茂は島原の乱後に隠居し、76才で没したということでした。