畑は「土作りが命」だと気づく。

おかげさまで今年5月は

いちごが大収穫でしたぁ〜(%笑う女%)(%ハート%)

そんな話を畑仲間のおじさまとしてますと、

氏曰く「ちゃんと土作りやって、メンテナンスしてたからね〜」と

褒めてくださいました。

今、いちごの収穫は終わり、

「ランナー」という、いちごの苗の子どもたちが

枝のようにどんどん生えて来ています。

あまりにも勢いよく、あっちこっちから出て来るので、

あまり勢いのないランナーや葉っぱを切断し、

とともに、雑草も丁寧に取っていきました。

と同時に肥料も少しあげました。

そんな中、隣の畝を使っていたおじさんが

「よしこちゃん、もう一畝、植えてみる?」と

ご提案いただきまして、喜んで受けさせて頂きました。

いちごはもうたくさんあるので、

(たくさんの方におすそ分けをし、更にジャムを作りました♪)

その畝では、他の野菜にチャレンジしたいと思いました。

その野菜とは「玉ねぎ」です。

我が家では、玉ねぎはとってもたくさん消費するし、

しかも保存がきくので、たくさん栽培したいと思いました。

ところが玉ねぎは、秋に植えるらしく、

夏の間、他の野菜を植えようとも考えましたが、

「この夏は敢えて何も植えず、『土作り』をしよう」と思いました。

実はイチゴ4畝を作る前も数ヶ月くらい

敢えて何も植えず、元々畝にあった土と

それに加え、肥料と雑草を混ぜて放置していました。

ですので今回もひと夏、その新しい畝を開墾した後、

『寝かす』ことにしました。

で、雑草だらけで、殆ど平らだった5つ目の新しい畝を

まずは鍬やショベルを使ってせっせと開墾(?)し、

更に他の4畝の間にあった通路から土を運んで来て、

最後、肥料や抜いた雑草を混ぜて立派な畝を作りました。

3時間かかって夜になるし雨も降るし・・・蚊にもかまれまくり、

翌日は筋肉痛もすごかったですが(涙)、

かなりの達成感&爽快感がありました。

私たちの日本民族は基本的に農耕民族で、

日本の百姓の凄さ・素晴らしさを体感すると共に、

「こんな大変なことを私たちの祖先は

ずっとやって来て、子孫を・国家を養って来たんや。。。」と

感慨深いものがありました。

そして

「人生も同じで、この見えない『土づくり』

『土台づくり』『土壌づくり』という基礎の部分が

根本的に大切なもので、

これを蔑ろにすると、物事も成就しない・・・

収穫出来るものの量&質が低下するねんな」

ということを体感体得した次第です。

これが「自然の摂理」なのではないでしょうか?

世の中の成功者は、このような誰も見ていない

地道な土づくりを、常にせっせとやっているから、

勝手に&自然に成功し、

それが継続してゆくのではないでしょうか。

目に見える成功・作物(成果物)の収穫だけに目が行っていると、

物事の本質が見えない・・・

成功を成功たらしめているものが見えない・・・

ということでしょうか。

そうなると一生成功することはないし、

成功しても一瞬でしょうね。。。

ほんと、農業(第一次産業)は深いですし、

人間が生きている上で基本的且つ

根本的に必要な産業ですよね(%ニコ女%)(%星%)

そんなことを畑から学ばせて頂いたあと、

「ぷらっとこだま」で東京にやって来ました。

私が入っている会の会議&記念例会に参加するためのです。

「ぷらっとこだま」は、新大阪〜東京間を「こだま」で

各駅停車・片道ちょうど4時間で行く、旅行パックのようなもので、

キオスクで好きなジュースが1本ついてきて10800円です。

私は鉄道での旅が好きでしかも、

のぞみよりも4000円くらい安いので、

時間がある時はたいていこの「ぷらっとこだま」を

愛用していま〜す(%笑う女%)(%王冠%)

詳しいことは書きませんが、

私の人生の舵取りがまたチョット(かなり?)変わる

機会の一つとなるような流れです。

・・・私の尊敬する方が、こんなことをおっしゃっていました。

「『念ずれば花開く』と言われていますが、

僕が長年観察している限り、

殆どの人は念じていても花は開かない・・・

念じてもその通りになっていない。

それは何故か?

それは“天意”じゃないからです。」

深い。。。そして納得。

私の短い観察期間の中で、何となーく見えてきたことは、

その“念ずる人の想いや内容、時期”によって

叶う・叶わないがあるようです。

個人的な見解として3つ理由を見つけました。

ますはじめに、

かなり極端な例ですが、「もっと金儲けて高級車を買いたい」

「浮気相手が欲しい」などなど・・・

個人の欲(煩悩)から発心された念は叶うどころか、

それは“罪”となり、自分がどんどん不幸になっていきます。

要はその念の出所が、

自分自身の煩悩・・・つまり、自分だけが幸福になりたいという想いから

発心しているのか、

真心から誰かに幸せになって欲しいという利他の想いからか・・・

どのどちらかによって、叶うor叶わない、もしくは

一瞬叶ってあとは谷底に落下orずっと叶い続けるか

決定されてゆくということです。

次の念が叶わない理由として、

別にその人の念が叶わなくても

世の中にとっては大した問題のない・・・

大局的に見て叶う必要性に乏しい・無い場合は叶わないようです。

つまり、世の中(時代)が求めていない念は

叶わないように成っているということです。

そして、最後の理由として、

「時期が早い」ということが考えられるかと思います。

その人の念は今は時期早々で、

10年後の世の中やその人の周りで必要とされる念であれば、

今は叶うことはなく、10年後に叶ってくるということです。

私の尊敬している方がおっしゃる“天意”とは、

自分自身がこの世に生まれる時に与えられた使命・役割に

直結している自分自身の意思を超えた・・・

大自然から与えられたミッションのようなものでしょうか?

そのミッションを一つずつ達成してゆくために、

その“天意”と直結した念を自分自身が念じることにより、

その大自然の意志(=“天意”)と一体化した時に、

自分自身の念は叶えられていくのではないでしょうか。

自然界にもその中の一部である人間の人生にも

前兆や兆し、そして時期というものがあり、

それを頼りにし、念を立てて、人生何かを達成するために

歩き続けるのが人間の本来の生き方なのでしょうか?

私の場合、あと2年ちょっとで40歳になり、

大きく変わる『兆し』というものを今、感じており、

その兆し・前兆の一環として、

今回東京に来る“流れ”となっていました。

新幹線の中から見えた美しい夕日を眺めながら、

人生の摩訶不思議さ、そして素晴らしさを

改めてかみしめさせて頂いた次第です。

生かされたこの命・・・

見えないところもしっかりと「土づくり」しながら、

完全燃焼し、本物の人生を歩んでまいります(%笑う女%)(%晴れ%)