「キトラ・高松塚壁画を読み解く」

(%緑点%)前期講座(歴史コース)の第11回講義の報告です。
・日時:6月10日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:キトラ・高松塚壁画を読み解く
・講師:来村多加史先生(阪南大学教授)
(注)「キトラ・高松塚壁画を読み解く」の講義は、2回シリーズで行います。今日(6月10日)は第1回、次回は7月15日(火)です。
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高松塚とキトラ
高松塚古墳とキトラ古墳は、ともに明日香村にあり。墳丘や石室の構造が類似し、壁画の画法や構成に多くの共通点がある。高松塚古墳の壁画が高句麗文化の産物であるという意見が多く出されてきたが、私はそう思わない。唐長安への留学経験のある画家がキトラ古墳の壁画を手がけ、高松塚古墳で新たな画題に取り組んだ者と考えている。〈『高松塚とキトラ−古墳壁画の謎』(来村多加史著 講談社刊)〉
◆発掘調査
「高松塚古墳」…1970年秋、網干善教(あぼしよしのり)先生が関西大学と龍谷大学の学生を率いて測量調査。1972年3月1日より発掘調査、3月21日12時30分前後、壁画の発見。石室内に星辰・日月・四神・人物群像を描いた古墳は、わが国初の例で、人々に衝撃を与えた。
「キトラ古墳」…1982年高松塚古墳から南へ1.2km、阿倍山(あべやま)集落の北にあるキトラ古墳の測量調査。翌1983年、飛鳥古京(こきょう)顕彰会は石室の内視調査(NHKがファイバースコープで石室内を撮影)。高松塚と同様の青龍や白虎、円形の基準線をもつ天文図、獣頭人身の十二支像が確認された。

両古墳の場所・立地・規模
(1)檜隈陵墓区におさまる両古墳(右の資料を参照)
★高松塚古墳(G)…中尾山古墳(F)(文武天皇陵と考えられる)に接近していて、天武持統天皇陵(B)とも近い。東漢(やまとのあや)氏の本拠地である檜隈(ひのくま)の陵墓区の真っ只中にある状況から、被葬者は天武天皇の皇子とする説がある。
★キトラ古墳(H)…天皇陵から南にあり、檜隈の景観に収まり、高松塚古墳からさほど離れていない、陵墓区内に含まれる古墳である。
(2)酷似する立地 (谷の奥に古墳を築く)
両古墳は、いずれも奥行き200mあまりの小さな谷の奥にありながら、石室前方の景観が窮屈にならないような場所にある。いずれも尾根の南斜面をえぐって半月形の平坦部を造成し、中央のやや前方に寄せて墳丘を築いている。瓜二つの立地である。
(3)墳丘の規模
高松塚古墳は、二段の円錐台に築かれ(下段の直径23m、上段の直径17.7m、高さ約4m)、キトラ古墳は二段の円墳(下段の直径13.8m、上段の直径9.4m、残存高約3.3m)。←飛鳥陵墓区にある天武・持統天皇陵、文武天皇陵(中尾山古墳)、束明神(つかみょうじん)古墳(草壁皇子墓説)は、いずれも八角形の墳丘。高松塚、キトラ古墳の墳丘は、形の上でも規模においても天皇陵や皇太子墓に比べて一等下の規格。(皇族に関係深い人物が葬られたと考える)。
(4)築造年代
高松塚古墳の築造年代は700年前後(7世紀末〜8世紀初め)と推定される。(来村先生は、キトラ古墳が高松塚古墳に先行して築かれたと考えている。時期は、両古墳に見られる多くの共通性から、時期はそれほど離れていないと見ている。)

石棺式石室(横口式石槨)
・「一室十六石」の基本設計で構築された(床と天井各四石、前後各一石、左右各三石)。一室に使用された石材は十六石が標準。キトラ古墳は、北壁(奥壁)が中央で左右に分かれていたので、二石が追加され十八石。石室が完成すると、水の侵入しそうな天井石や側石などの隙間を塞ぐため、漆喰を塗りこめた。
・両古墳とも二上山付近で産する凝灰岩の切石を使用。
・同じ石工(いしく)集団がほぼ同一の規格をもって構築したものと思われる。
◆石室の大きさ
高松塚古墳とキトラ古墳は、大きさはほとんど違いがなく、強いて差をあげるなら、高松塚は長さにおいて勝り、キトラは高さにおいて勝っている。

両古墳の壁画(壁画は寝転がってみるもの)
*右の資料を参照…図面において東西の方向が地図と逆になる。地図は、地球の表面を上空から眺めた向きで作図されるが、この図は地下から.上空を眺めた向きになる(だから、南北に対する東西の向きが逆となる。)仰向きに安置された被葬者が柩(ひつぎ)を通してみる壁画の向きである。

*似て非なる両古墳の壁画構成
★高松塚古墳の壁画
「人物群像」・「四神」・「星宿図」
・天井の中心に天文図があるが、四角くめぐる二十八宿は天井の横幅いっぱいに広げて描かれている。(キトラ古墳の円形天文図にような回転する印象は生れない。)→天文図が天井面に幅をきかせてしまったおかげで、日輪・月輪は壁面に下ろされてしまった。(本来、壁面の上方は四神が描かれる位置である。そこに日輪・月輪が下ろされた結果、四神とも壁面の中途半端な位置に追いやられてしまった。)
★キトラ古墳の壁画
「四神」・「十二支像」・「天文図」
・円形の天文図、東西に昇降する日月、旋回する四神、供回りの十二支…全体として陰陽五行説に基づく世界を構成。

**詳細な壁画構成については、次回の講義(7月15日)です。