今までの棚卸し、そして今後の人生のために、
合間時間を使って場所毎に
徹底的に大掃除(整理整頓清掃)し、
と同時に、より効率的で働き&住みやすい環境の整備を
ほぼ完了させましたぁ〜(^^)♪
掃除している間、「あ、こうしたらいいかも〜」って
いろんなことが閃いたり、
ずっと探していたものが見つかったり、
そして、生まれてから今までの・・・過去のいろんな“もの”が見つかり、
「温故知新」させて頂きました。
両親兄妹親戚をはじめ、ご近所の方、先生方、同級生、仲間・・・
本当にたくさんの方々のおかげで、曲りなりに生きてきたんやな。。。
って、改めて37年間を振り返らせていただきました。
ほんと、過去の延長線に今があって、そしてこれからも続いていくんやろうな・・・
当たり前のことに、感動感謝した次第です。
右上写真は、地元の永畑幼稚園の卒園の時に、
担任の北村先生から頂いたお祝いカードです。
その中に、「おいわいのことば」がありました。
いつも おおきな こえの
よしこちゃん、せんせいは
よしこちゃんの とてもげんきで
すなおなところが だいすきです、
でも もうすこし おんなのこらしい
ことばづかいを しましょうね
・・・って、今とチットモ変わってないやん〜(>0<)って
改めて、「三つ子の魂百まで」を実感っ(凹)
かけっことか、自分の好きなことや得意なことは
誰にも負けヘンぞ〜ってハリキッテたもんなぁ〜(遠い目)。
の割には、ドッジボールが嫌いで、みんなドッジやってても、
友達誘って、2人で鉄棒してたしな・・・
昔から『やりたくないことをやれされる』という団体行動がキライ・・・
そんな風来坊の私を母は昔からず〜っと心配しております(^^;)
だけど、我慢してやりたくもないことをすると、
私って、ストレスがもの凄いということも
37年の人生で経験済みです。
何背物心ついてから、自分の好きなように動いて来て、
兄妹の真ん中で、親兄妹にさほど干渉されることなく、
一人遊びが好きで、よく一人で迷子になっていたそうです(汗)。
その最たるエピソードを紹介します。
私が3才半になっても「だ〜」とか「で〜」しかしゃべらなかったらしく、
さすがに母親が「この子はおかしいのでは?」と
慌てて病院に連れて行ったら、お医者さんに・・・
「おかあさん、この子にちゃんと話しかけていますか?」と言われ、
その時にはじめて、話しかけていない(=接していない)ことに気づき、
「あ!話しかけていません。甘えたの兄と生まれたての妹には構っていますが、
この子(私)は一人で遊ぶし、構って欲しいと私にあまり近寄って来ませんので・・・」
とか何とか言ったようです。
それ以後、大橋家一族はこぞって私に話しかける・構うようになり、
一気にしゃべれるようになったのですが、
なぜか男言葉になって、男のような言動をするようになったようです(^^;)。
さすがに思春期になり、
「このままオトコっぽい言動じゃーマズイ。」と
アタマでは分かってはいても、
これを自分の力だけで完璧に直すのは、
今から思うと、無理だったかと思います(別に性同一性障害ではゴザイマセン。)
見た目は女子っぽくなって来ましたが、ほんと、未だに中身は男子の如く、
未熟な男子を見ると、「アイツは私よりも女々しい。」と
優劣をつけるクセが抜けません〜(涙笑)。
ほんと、なんでこんな風になってしまったのか・・・
さっぱり分からず、「カミサマ、教えてください〜」って感じですが(笑)、
きっと何かの意図・意味があって、
男性っぽい女性という性を持って生まれ育ち、
完全一人の人生修行を好んで歩んでいるんだと思います。
そんなかんだで思い出の品を
いくつかご紹介します〜♪
まず『感謝状』。
小学校卒業時に両親に向けて書いたようです。
『感謝状』
お父さん殿
お母さん殿
良子は、中学生になります
むかしのことを思い出すと(←って、たったの12年しか経っていないのですが・笑)
入学式、遠足、林間、修学旅行はまくらなげをしたり、(←小学校の最大の思い出が枕投げらしい・笑)
いろいろありました
話は変わるけど、ヨシコをそだれるのは、大変だったことでしょう
これからも、いやになると
ぜったいに思うけど、いろいろがんばります。
(↑感謝状がいつのまにか「決意状」に変わってしまっている^^;)
我ながら、なんか、感動も一切なく・・・ビミョーな感謝状で、
未だに両親の元で実家暮らしなので、
この感謝状の時代と全く同じ境遇なので・・・
今もこんな内容を両親に書いてしまいそうです(成長なし・・・滝汗)
次に・・・
ゲームボーイなど。
掃除すっぽかして、つい遊んでしまいそうだったので、
電池は入れませんでしたが(笑)、
私は『桃太郎電鉄』が好きで夢中でやっていました♪
どうやら、鉄道好き(鉄子、乗り鉄)は
この『桃太郎電鉄』がきっかけのようです(更に、笑)。
で、一緒に映っているのが、
マッキーこと槇原敬之さんのCD。
中学1年生の時に、寒い日に深夜のラジオで聞いた
『北風』という曲で一気にファンになりました。
「どんなときも」が有名で、
最近だったら、SMAPに曲提供した
「世界に一つだけの花」で有名なアーティストです。
顔はアレですが(笑)、歌詞の世界がとても好きでした。
最近は滅多に聞きませんが、
マッキーの曲を聞くと一気に『昔』に戻ります。
次は、高校時代3年間の年賀状です。
平成5年から7年です。
(それ以降の年賀状も全部残っているようです。
なんやかんや捨ててますが、結構昔思い出の品は残しています♪)
面白いのが、中学時代の男子の友達から貰った年賀状・・・
1年前のものな上、
「大橋 良子 様」やなくて、「大橋 不良子 様」と書かれており、
20年の時を越えて、大爆笑しましたぁ〜(^0^)☆
ほんま、みんな元気してるんかなぁ〜?
来週、小豆島へ遍路しに行くんですけど、
中学生のめっちゃ仲良かった同級生が瀬戸の花嫁で
そこで暮らしているので、10年ぶりくらいに再会出来るので
楽しみです〜(*^^*)
最後は、小学5・6年生の時の担任の先生だった
阿知羅(あちら)先生から、
高校生の時に届いた『風の子 特別号』です。
この『風の子』とは、小学生の時に、
定期的に先生が生徒と保護者向けに、発行されていた学級新聞です。
この内容は、幼稚園が統廃合で存続の危機にあり、
その署名運動に参加して欲しいという内容でした。
で、その新聞の後半には、
先生の息子さんのことを通して、
私たちにメッセージが書かれてありました。
・・・先生には、みんなより一つ年上の息子がいます。
去年のことを思い出すと、今のみんなの心がよくわかります。
去年の今ごろ、先生と息子は、1〜2回話し合いました。
先生は息子に大学に行ってほしいと思っていましたが、
5月ごろ、「ぼくは就職したい。」といいました。
先生もショックでしたが、本人の意思はかたかったです。
父親が大学の先生で、母親が小学校の先生で・・・
息子もかなりなやんだと思います。・・・
今、息子は大津の方でおすしやさんではたらいています。
朝9時から、夜11時まではたらいて苦労しているようです。
時々電話をしてきて、「弟はがんばってる?お母さんもがんばりや〜。」と
やさしいことばをかけてくれます。
今は先生も息子を応援しています。
さて、みなさんは、進路をきめたりする時ですよね。
自分の人生です。
よ〜く考えて、自分にあった道をえらんで下さい。
まわり道をしたり、ひとやすみしたりしている人もあると思いますが、
なげださないで、前向きにがんばってほしいです。
自分はこの世にひとりしかいません。
お家の人や、まわりの人の心も大切にしながら、
自分のすすむ道をきめて下さい。
もう決めて歩きはじめている人もいるでしょうね。
またお手紙下さい。
・・・37歳になっても、毎年年賀状のやりとりをさせて頂いている
恩師のあちら先生。
今でも、そっと気にかけて下さっているんやな・・・って
改めて恩師の気持ち(心)に触れた次第です。。。
ほんと、毎日のように、
漢字ドリル&計算ドリルの居残り勉強をさせられ・・・
成績がわるくて、授業中も私語して先生に怒られたりしていましたが、
(図工と体育は成績優秀でした・笑)
おかげさまで、大学は主席卒業をさせて頂きました。
ほんと、いろんな人に育まれて来た人生やったなぁ・・・って
大掃除しながら、かみしめていました。
この先生からの手紙は1994年(平成6年)、
私が高校2年生・16歳の時に送られて来たものですが、
今の私にも『何か』を教えてくれる、力強いメッセージのようです。
「恩に報いる人生とは、このようなものか」・・・
ということが、何となく掴めた時間となりました。
ありがとうございます。