私は『競争』というものが好きではない。
厳密に言うと「他者との競争」が好きではない。
それが何故かと言うと、
本来のあるべき人生の目的(あり方)は
「自分や自分の周りの人を幸せにする」ことであり、
その幸せを得るための手段(やり方)の一つが
「他者との競争」であります。
そうだ!といつでもとこでも的確に把握しながら、
生きていれば問題も異論もない。
しかながら、他者との競争という「手段」が、
いつの間にか「目的」になってしまい、
他者が持っている幸せを不当に攻撃し奪ったり、
その攻防の過程で自分自身の心身から邪気を送受信し
病んでゆく…幸せを潰してしまって「本末転倒状態」となり、
その人の人生だけでなく周りの人、
世界全体がおかしなことになってしまっている。
目的を忘れて手段に惑わされ、
さ迷う人間の有様に私は正直うんざりしている。
だけど人間は「対立」という競争を通して与えられる
『苦難』でしか、成長・進化出来ないということもまた
私は知っている。
そんな『娑婆の世界』で見つけた、
“私の人生における競争”は「自分と自分との競争」。
過去何回かお話ししていますが、
「今の自分」と「未来(理想)の自分」との競争です。
この競争は常に今の自分が負けています。
負けているからがんばるし努力をし続ける。
この競争は不幸な人間を誰一人として作らないし、
そもそもこの競争が人生修業の根本的意義だと思います。
娑婆の世界では、
どうしても他者との競争をせざるを得ない時があり、
人間として生きている限り、避けては通れません。
だから人間は、本来のあるべき姿(根本)からずれる時ばかりです。
だから私は人間(自身)の弱さや愚かさをいつも感じ、
反省し懺悔し、そして前向きに楽しくマイペースに改善しています。
だからこそ、全てを置いて日常から離れ、
人里離れた場所で修業をする意義や必要性が見えて来ます。
そしてそのシンプルで無垢な環境の助けを借り、
過酷な修業を通して「無の心」に成ると、
「空(くう)の境地」に入って来ます。
そうなると、今までバラバラにしか見えなったし、感じられなかった
自分以外の人や物、事象…現在過去未来と私自身が一体化し、
「ありのまま」が“観え”、
全てを達観出来るようになり、
今この時全てが幸せで溢れていて
『必要なもの全てを既に私は手にしている』
という事実に気づいてゆく。。。
それが『悟り』というものなんだと思うようになりました。
明日はある仏縁があり、終日名古屋。
そして来週からしばらく、小豆島遍路にて修業して参ります。
この先、どんな人生遍路道が私を待っているかは、
全く予測不可能なのですが(笑)、
既に、あるべき人生のレールに乗っていることは
ちゃんと把握していますので、
後は、それに恐れず希望を持ちながら真っ直ぐ歩んで行くのみです。
こだわり粘り強くいきつつも、
潔ぎよくシンプルに生きて、逝きたいです。