「おかげさま」と「おたがいさま」

たまたま見ていたテレビで、

「人間が生きていく上で大切なのは、

『おかげさま』と『おたがいさま』の心(あり方)です」

と言われていました。ほんとそうやなと思います。

まず『おたがいさま(お互い様)』の『お互い』とは、

今この世に生きている人や動植物…すべてのものと、

自分という関係性を表しているようで、

その二者両方に向けて尊敬語の働きをする『お(御)』がついていて、

更に最後には敬称の『様』がついています。

お互いが認め合い、尊敬し合い崇め奉り合うという

『横のつながり』の大切さを説いた言葉のようです。

一方『おかげさま(お蔭様)』という言葉は

『縦のつながり』の大切さを表現した言葉のようです。

自分と上下の関係(縦関係)にあるのは、まず親祖先のようです。

また直系の祖先以外にも今の日本や世界を

ステキに創り上げて来た先人たち全てを差し、

そして神仏(宇宙の創造主・大自然)までをも網羅する言葉が

この『おかげさま』を向ける相手のようです。

『おたがいさま』という横のつながりに向けたの感謝の心と、

『おかげさま』という縦のつながりに向けた

感謝の心をまずは自分自身から発心することにより、

それが巡り巡って自身の元に、

自身の必要なカタチに変わって還って来るようです。

また発心して還って来る間に、

いろいろなものの『心(念)』というものが合わさって、

自分のところに還って来るようです。

その過程は「因果応報」で、自分が発心した心の在り様

(念。今の心、気持ち)が必要な度合いに増減して還って来るようで、

善の心で発心すれば善が還り、悪だと悪が還って来ます。

その因果応報の過程は、その人で完結することもあれば、

時空を越えて先祖から子孫に行く時もあります。

今一緒に存在する・生きている人同士の

『おたがいさま』の心を育み合うのは、

日常生活の中の修業として組み込まれていますが、

『おかげさま』は自分の周りに無い…

時間や距離が離れ、直接コミュニケーションが出来ません。

そんな「し合う」心の交流=し合わせ(仕合わせ)・・・

つまり『幸せ』なんだと感じました。

こんな感じで認め合い感謝し合う関係を多く築くことが

『幸せ』の真意なんだということです。

そこで先人達が発明した時空を離れたものへの

心の交流の方法・コミュニケーション方法の

最たる方法は『祈る』という行為です。

最もメジャーな祈る対象は、亡くなった先祖への祈り・・・

『供養(先祖供養)』という行為・概念です。

私はこの供養という日本語がとても好きです。

「共」に「イ」ニンベンがついているので、

動植物ではなく「人間が共にする」というのが

「供」という漢字の意味です。

(供養という概念から紐解いてみて、

人間と動物の違いはその辺りに隠されているようです。

つまり人間には時空を越えて考える・生きるという

感性・霊性というものが在るということです。

が、これらの能力は生まれながらにして完璧に持つ人は殆どおらず、

多くの凡人達は人生修行によって、ちょっとずつ獲得して行くもののようです)

「養」は「養う」。

「時空を越え、人間が共に養い合う」のが

供養の根本かと思われます。

死んだ人間とは言語(見えるカタチ)では

コミュニケーションは出来ません。

だけど私たち人間は『祈り』という

コミュニケーション方法を編み出し、

死んだ人や側にいない人ともコミュニケーションが出来ます。

そんな『祈り』のコミュニケーション能力は、

日本地域においては神社仏閣で、

家庭においては神棚や仏壇という、

目に見えるカタチのものを通して継承され続けていました。

そんな見えない時空を越えたコミュニケーション(心の交流)は、

私たち人間にとって必要なコミュニケーションであり、

見えない心の部分(幸福感)で多くの影響力を与えていると思います。