そこから、同じような標高にある、札所を打ち、
めちゃくちゃ暑い下界(標高0メートル地点)に戻ってきました。
子供の頭くらいのスイカが空中に成っていて(驚)☆、
最近畑を嗜んでいる者として、
この畑の主にどうやったら、空中にこんな大きなスイカが出来るのか
みっちり伝授して頂きたいなと思いました(笑)!
さいご、第5番・堀越庵から第6番・田ノ浦庵へ向かう峠は、
この上なくアブと蚊が多くて、
休憩する(止まる)と一気に寄って来るし、
歩いていても、たまらなく寄って来るので、
殆ど休憩しないまま、歩き続けました。
小川沿いに遍路道がある山道。
風が通りにくい、うっそうとしている場所に
蚊とはハエとかがうじゃうじゃいるようです。
そしてそれらの場所は、そんな虫がいなくても、
なんだか居心地がよくなく、気味がわるいです。
そんな虫がたくさんいるから、そんな空間になるのか、
そんな空間だから、人間にとっての害虫が集まって来るのか・・・
これは人間にも言えることで、
いい人にはいい人が集まり、
わるい人にはわるい人が集まって来るようです。
つまり、自分がいい人(いい心を持つ人)であれば、
他人の心の中にある「善の心」が引き出され、
いい人になっていくようです。
上記のような、うっそう&じめっとした薄暗い場所ではなく、
常に、美しいお花畑のような心と持ち続け、
蚊とはハエとかアブではなくって(笑)、
常に美しい蝶々が集まって来るような私であり続けたいです。
田ノ浦庵の近くには、「岬の分教場」という観光スポットがあり
(映画・二十四の瞳の映画村の側です)
峠越えをマッハでしたおかげで、予定より20分も早く
そこにあるバス停に付き、
バス停から少し離れた待機場で待っていました。
数分すると、大阪で暮らす息子と孫が
「岬の分教場」に行っているという
地元のおばあちゃんがやって来て、
あれこれ話してますと、息子と孫が帰って来て、
おばあちゃんにアイスキャンデーを持って来て、
めっちゃ美味しそうに3人で食べていて、
思わず「どこで売っているんですか?」と聞いて、
お店に買いに行きました。
いろんな味があり、迷って買って
待機場に戻ると、ナント☆50メートルくらい先のバス停に
バスがいて、「ぷしゅー」と扉が閉まる音がし、
「こんな暑いところで、1時間半も待てない!」と
私は、待機場から荷物を取って、
「こんなにマッハで走れる体力がまだあったんか!?」と
チョー驚くようなスピードで
「きゃー!待って〜!!」と叫びながら、
バスの前に飛び出し(危険過ぎる!)
運転手さんに扉を開けて頂きました(ほっ。)
バスにはお客さんが4人も乗っていて
(小豆島の路線バスはいつも1〜2人しか乗っていないので)
本当に滑稽でアホなお遍路さんの姿を
見せてしまいマシタ・・・(^^;大恥)。
バスで一気に安田の町まで戻り、
バス停から旅館まで1キロくらい歩きました。
で、旅館に着いて、シャワーを浴び、洗濯をし、
部屋で涼みならら、その日の片付けと、
翌日の準備・計画をしていました。
すると、翌日・26日は、
小豆島霊場会の「モデルコース」は、これまた物凄い
ハードスケジュールだということが発覚っ(>0<)!
![](/img/u43837/FI3973729_0E.jpg)
この時4時半。
ここで、よしこちゃんの脳みそに電球がっ☆
「そうだ、今から『自転車遍路』をしよう。」
旅館の高校生の娘さんの自転車をお借りし、
明日のお昼前後に打つ予定だった札所を
自転車に乗ってどんどん打ちに行きました。
「せっかくシャワーしたのに!」と
滝汗ダラダラ状態でしたが、背に腹は変えられません。
まずは、17時までしかご朱印を受け付けないという
「寺」に行きました。
旅館から半径数キロ以内にまだ打っていない札所が
6つあり、2つがお寺でした。
2つ目のお寺に着いたのが17時5分。
本当に頑張って自転車こいて行きました。
地元八尾でも、こんなに頑張って自転車を
こぐことはないと思います(笑)。
![](/img/u43837/FI3973729_1E.jpg)
第21番・清見寺には、保育園が併設されており、
(後で知ったのですが、この保育園は
130人も子供を預かっているんだそうです!すご〜い!)
境内には、どん!と大きな仮設プールが
設置されていて、他の札所にはない、
さすが街中の親しみやすい人の多い開放された
お寺という感じでした。
私の、これから先の人生で、
お坊さんや高齢者になって、
お寺を経営するご縁があれば、
このお寺のように保育園をして、
地域の子育て環境の改善に貢献しつつ、
子供と同時に親御さんに説法とか、
遍路修行ツアーとか企画して、
地域の教育的機関&精神的な拠り所を
作ってみたいと感じました(笑)。
5時を過ぎたからか、
お寺の方はおらず、勝手知った保育士さんが
ご朱印を押してくださいました。
5分遅れてしまったのに、助かりました(^^)☆
残り4つの無人の庵を、日暮れ前までに打ち、
スーパーで買い物をして宿に帰りました。
見知らぬ町を自転車で駆け巡るのは
歩きや車とはまた違う感覚があり、
とってもスキです。
地元の人みたいになれるのが自転車の魔法であり
「醍醐味」かと思います。
(しかもその自転車は、小豆島高校のステッカーが貼られてるし!
気分は小豆島の女子高生〜っ・笑)
私が暮らす大阪とは違うのですが、
ここも誰かの生活の場であり「ふるさと」なんやな・・・って、
なんだか、深い感動があります。
日本という国の懐の深さ、幅の広さ・・・素晴らしさを感じます。
![](/img/u43837/FI3973729_2E.jpg)
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25日夜8時から、NHK四国四県限定で、
四国88ヶ所を周る外国人に
スポットを当てた「HENRO」という
NHK高松放送局発の番組が放映されていました。
あるアメリカ人の若い女性は、不本意なことで失業し、
自分探しをするために
「一人になって、じっくり今後の人生を見つめなおしたい」と。
またあるオランダ人の中年女性は、パートナーと一緒に
余命2年の乳がんを治したいと、
最後の望みをかけて、毎年のように歩きお遍路をされ、
不思議とガンの進行は止まり、
既に5年生きておられるとのこと。
そしてまたあるブラジルの日系3世のおじさんは、
4年前亡くなった奥さまと一緒に
「日本へ桜を見に行く」という約束が果たせず、
(奥さまの分、一緒に歩いているという意味で)
納経帳2冊にご朱印を貰いながら
一人で歩きお遍路をされたという、
いろんな人の「お遍路ストーリー」が散りばめられていました。
私はここで思ったことがあります。
以前もブログに書いたかも知れませんが、
人が遍路に行く理由は3つあるようです。
(88番大窪寺近くの「お遍路サロン」に書かれていました)
ステップ①:自分さがし
(自分自身を見つめ直し、温故知新する内観作業をする)
ステップ②:追善供養(徳積み)
(お遍路という徳積み修行により、
自分に加え自分以外の全ての“もの”に、その徳を及ぼす)
ステップ③:先祖供養
(亡くなった先祖子孫やパートナーに向けての祈り・供養)
日本人以外の人(日系3世の方は、奥様の供養が入っていますので
②③も含まれてくるかと思いますが)は
基本的に①しかありません。
「自分の病気が治りますように」
「自分のこれからの人生が好転しますように」って、
自分のこと、自分の今や、未来(未来の今)しかありません。
さすが『個人主義』の賜物だと思います。
(それが、いいかわるいかを論じているのではなく、
あくまで客観的に分析しています)
以前、フランス人の映像作家・エミリさんと2ヶ月間一緒にいましたが、
彼女にアジア諸国・・・
とりわけ日本人が熱心な「先祖供養」という概念を
説明するのは、とっても労力が必要でした。
(正直、どこまで理解してくれたかは?です)
日本人は代々『個人主義』ではなく、『家族主義』です。
つまり個人よりも、組織全体・・・家系全体の為に個人が動くという
社会的システムが続いてきました。
ですので、先祖からのDNAの中に含まれている『徳』は伸ばし、
『罪』は供養し、自分の代で消罪する必要があります。
従って、私たち日本人は長年の歴史の間に
追善供養と先祖供養を編み出して、
継承し続けて来たのだと思います。
だけど面白いのが、
一見①と②と③はバラバラに見えているのですが、
(だから敢えて、ステップ①、ステップ②、ステップ③と書きました)
始めは自分探しで始めたお遍路が、いつの間にか、
②になって③に成るんです。
厳密に言うと、始め①だけだったのが、①②になり、
そして①②③全部に成るんです。
どういうことかと言いますと、
まず自分がいて、自分の今や未来を考えます(ステップ①)。
次に、「自分は一人で生きて来たのではない。
全てあっての自分、自分あっての全て」だと、
見た目バラバラに存在している人や物、事象が全て繋がっている・・・
人生は時空をも越える『因果応報』だということに気づきます。
(自分の身体に対しても、感謝の念が生まれて来ます。
人間の身体は魂の入れ物であり、
念・想いというものは、心・・・つまり、魂で認識しているようです)
すると、そこに「有難い 〜感謝〜」というものが生まれて来て、
自分以外の何か・誰かの為に何かしたくなります。
それが『徳』(追善)という行為です(ステップ②)。
自分の為だけに、何らかの見返りを求めて、
何かをするのは一見徳のように見えて、実は罪なのです。
偽りの在る分、大罪です!
で、最後に行き着く供養(ステップ③)は、
「そもそも、自分(の命)って、一体どこから流れて来たんやろう?」と
考えるとすぐ分かります。
それは「先祖」がいての自分であります。自分=先祖なんです。
だから、更に感謝を深めて、人は先祖供養というものに励む訳です。
先祖の、今を生きる私たちへの「一番の望み」って何だと思われますか?
それは全ての先祖に共通しています。
そしてその念(想い)は、どこの家の先祖
(っていうか本・もとは一つで、全員同じです!)も同じです。
それは、「子孫に幸せになって欲しい」ということです。
これしかありません。
先祖は身体は土に返ってしまい、目に見えなくなりますが、
魂(想い、念)は今も、残り香のように、さりげなくこの世に残っており、
っていうか、私たちのDNAの中に、脈々と生き続けています。
元々高い人もおられますが、
人生修行によって霊性を高め、先祖に意識を向けるべく、
手を合わせ祈れば、そこに繋がります。
その念をひしひしと感じることが出来るようになってきます。
先祖の念や魂は目に見えませんが、
位牌や墓標というたぐいの目に見える物に入っているというのが、
仏教でのルールとなっています。
一方、自分=先祖となりますと、
『先祖=自分』にもなります。
つまり、先祖供養をすることが、ステップ①の自分探しにも成る訳です。
こんな感じで、①→②→③→更に霊性の高い①
→更に霊性の高い②→更に霊性の高い③・・・と、
3つのステップをブラッシュアップし、高めて行くことにより、
自分を中心に、身の回りの人、過去の先祖、そして未来の子孫まで・・・
全員が幸せになっていきます。
そしてやがて、自分があの世に行きますと、
今度は自分(の魂)が、子孫によって先祖供養され、
そして子孫の幸せを祈り、応援する側に回るのです。
こうやって、また輪廻転生するのが、
仏教の考え方なんだそうです。
(詳しくは勉強不足のため、分かりません)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
そして今日・26日(土)。5日目。
今日も猛暑の中、朝7時に宿を出ました。
ひろきや旅館のだんなさん&おかみさんは
今までに出会ったあらゆる遍路中でも
5本の指に入る勢いで、
お遍路さんに優しい方々です。
小豆島着いて早々出会った、同世代女子のお遍路さんも
ここに2泊したそうですが「本当によくして下さいました」と
感動してはりました。
お宿の一般業務だけでなく、
ペットボトルの水を凍らせて、持たして下さったり、
遍路プランの相談に親身になって乗って下さったり、
最強にスピーディーなネット環境を貸して下さったり、
そしてその日最後の札所まで車で向かえに来て下さったり・・・
(明日は、7キロ先の次の札所まで送ってくださいます)
お二人とも、本当に笑顔がステキで、
お遍路さんの立場に立った臨機応変な対応を敏速にしてくださいます。
本当に感謝、感激しています。
ほんと、人間50になって来ると、
「人柄」というものが、顔(表情)に出てきます。
そのご夫婦の顔の形は全然違うのですが、笑顔の質は同じ・・・
心一つなステキなご夫婦です。見習います。
![](/img/u43837/FI3973729_3E.jpg)
26日宿を出て、また山登りです。
恐らく、小豆島遍路で最も標高が高い、
第14番・清滝山に向かいました。
ここへ向かう山道は、最後の200メートルまで、
車も通れる勢いの幅の広い道でしたので、
比較的上りやすかったです。(蚊やハエも少なかったし)
だけど、風がゼロ。
今日は風が殆どない日で、体内に熱がこもり、
それがちょっとコタエマシタ〜(>0<)!
そこで、ふっと思ったことがあります。
・・・結局のところ、マイペースで行くしかないな・・・と。
私は体力のある人や遍路慣れしている人みたいに早く歩けない。
羨んでも何しても、ムリなものはムリ。
「焦らず急ぐ」。
先が長いんやから焦って急いだら、力がもたない。
さりとて、焦らずゆっくり行くと、
いつまで経ってもゴールに着かない。
人生遍路も同じで、結局のところ、
神から与えられ、また自分が選択した道を、
こんな感じでマイペースで歩き続けるしかない。
逃れられない…どうしようもない“道”(人生の宿命)。
そんな道を歩くコツは
「余裕を持って楽しみながら歩く」ということでしょうか。
己自身(の体力・器)の限界を知った上で、
そのギリギリまでがんばる。
またそんな体力的に過酷な状態であっても、
精神的には余裕があるところ…胆力の限界の手前でがんばる。
いくら体力の限界の手前でがんばってても、
胆力の限界を超えたら、一気に体力が下がる。
やはり何事においても「やる気」
…物事をやり遂げるゾという気合い・胆力…
が基本的に必要なんだと思いました。
<つづく>
![](/img/u43837/FI3973729_4E.jpg)