小豆島八十八ヶ所めぐり〜歩き遍路〜 6日目②

<つづき>

・・・私の人生、『満足』はしているけど、

『納得』はしていない。

だから私は今、遍路をしている。

満足を得るため、不足不満を解消するためではない。

私の場合、遍路の動機はただ一つ

「自分自身が納得した人生を歩みたい」

その一点に限る。

自分が納得のいく人生

(人生とは、幾百千の思考と判断と行動の積み重ねである。

その積み重ねで彩られた『一本の糸』が人生、そのものである)

を歩んでいきたい。

そんな人生を歩むために必要なことが

この遍路道にあるような気がしてならない。

敢えて非日常的な空間の遍路道を

歩む必要性に私は確実に気づいている。

(なかなか理屈で説明は難しい。

遍路修行をした人にしか分からない境地)

人間は修業し続けなければ、どんどん堕ちてゆく。

自分で種を撒いて育て収穫したもの(幸せ)だけ

では物足らない人は多い。

(っていうか、そんな煩悩があるのが人間の性)

他人のものと比べ、羨んだり嫉む。

するとまず『思考』のレベルが堕ちる。

思考が堕ちると『判断』のレベルも堕ちる。

いよいよ本格的に堕ちて来ると、

『行動』のレベルが堕ち、

いよいよ誰の目から見ても、はっきり見える形で

「この人は堕ちている」ということが分かる。

他人のもの(幸せ)を奪ってまで、

幸せになりたいか?

そんなことで得た「他人の幸せ」は、

「まやかしの幸せ」に化ける。

陽炎の如く、一瞬にして消え去り、

「夏草や兵どもが夢の跡」状態で、朽ちて逝く。

真の偉人とは、自分の責任と実力で持って

幸せを築き、のし上がって行くものである。

(そんな真の自力本願のところに神風・他力本願が来る。

何も努力していない・間違った努力をしている人間には

神風は吹かない!)

その事実は、悠久の歴史の過程で、

多くの先人たちの命と引き換えに、既に証明され尽くしている。

・・・修業とは、

全ての人生の出会いや出来事の根本的原因は、

自分の「せい」であるという、

因果応報の概念(真理)を的確に掴むことから始まる。

と同時に、自分に起こる全ての善いことは

他力のおかげであるという、

感謝の心「おかげさま」という概念を掴む必要があります。

まずはこの2つを的確に掴めていなかったら、

いくら厳しい修業をしても、効果が現れないだけでなく、

自他に罪をかぶせることになります。

以上を踏まえ、自分のペースで

順番に与えられる修業(悩み、トラブル、苦難)を

こなして行けば、

自然と一つ一つ消罪されてゆき、

自然に人生が好転してゆき、

消罪(マイナス状態)の段階を過ぎ、

徳積みレベル(プラスの状態)になれば、

飛躍的に人生が好転していきます。

人間はみな使命・役割が違うので、

持つものや、人生の課題…全てが違います。

他人の人生を卑下したり羨むことは、

神に対する批判・冒涜であり、

天に唾を吐くのと同じで、

結局自分のそのマイナス感情により罪をつくり、

堕ちてゆきます。

みなそれぞれの課題を

足元をちゃんと見つめながら

その一方で、未来に向かって希望を持ち、

前向きに生きて、逝きたいですよね。

ほんと、長勝寺の奥様のお話が深かったです。。。

いつの間にか天気は晴れ!

国道436号線に入り、第40番・保安寺に着きました。

ここで始めて、団体さんのお遍路さんに出合いました。

よくよく話を聞きますと、このお寺では

年に一回、「土用丑の日」前後の事前に決められた日の午後、

「今年も一年元気で暮らせますように」とか

願い事を祈願してくださったりする法要があるとのことで、

姫路と岡山に拠点を置く

2つの“講(小豆島遍路の小団体・コミュニティ)”が

一緒にこの法要に来られたとのことでした。

ご住職さん曰く・・・

「せっかくのご縁ですので、あなたもご一緒にどうぞ」って

その法要にみっちり一時間、参加させていただきました。

なんとも清々しい法要で、最後住職さんの息子(お坊)さんに

数珠で背中を優しく擦ってくださりました。

法要後の、ご住職の法話もよかったです。

「人間、歳を取ると、『キョウイク』と『キョウヨウ』が必要です」と

おっしゃいました。

聞くと、教育と教養という難しいものではなく、

『キョウイク』=今日行くところ

『キョウヨウ』=今日用事がある

この2つが必要だということです(笑)!

まず、この話で「意外性」と「笑い」を取り、

ここで一気に講の方々(平均70歳ちょっと40人くらい)の

ハートをワシヅカミにされました☆

年齢を重ねることに、社会から必要とされなくなって来る。

だから自分の積極性を持って、関わっていく必要があり、

そうすることによって、元気に長生き出来るということでした。

あと、「三密加持」というものが必要とのことです。

①身体(手を合わせる・合掌すること)

②口(お経を唱える)

③心(感謝の心を持つ)

これら3つの行為を真剣に実践することによって、

仏と一体化し、仏の域に入って来ます。

そうすると、自分の中に仏が入り、仏の加持を受ける。

つまり、自分の思った通りの人生を歩める・・・

幸せになれるということです。

・・・その後、「お接待」で

おそうめんなどを頂戴し、

その時既に14時を過ぎ、

さすがに道草し過ぎ!と思い、

そさくさと山道を登っていきました。

さすが霊峰とあって、

「佛谷山」と「西ノ滝」は凄かったです。

小豆島の『山岳霊場』は、弘法大師空海の時代から

殆ど変わっていない勢いで、

素朴ながら、大自然の畏敬の念を感じる・・・

四国遍路にはない、すごいパワースポット

(聖地)だと思います。

<つづき>