6次産業化にカリスマはいらない
味の社会学(第11回)
2014.07.16(Wed) 菅 慎太郎
そもそも、流通・小売への批判が上がるのは、旬などおかまいなしに「チラシの印刷都合」や店頭演出に合わせて生鮮品を売るからだ。現場の裁量が本部に集約された結果、「サラリーマン化」してしまったバイヤーにも原因の一端はあるかもしれない。
筆者は、農家は「ものづくり」に専念してもらい、小売業は「販売は俺たちが担う!」という志を持ってほしいと願っている。プロフェッショナル同士が互いを高め合う関係を築いてほしいのだ。
だから、農家を都会に引っ張り出すマルシェは、もうほどほどにした方がいいと思う。農家が販路に希望を見出すとしたら、「気概のある八百屋」と付き合っていくべきなのだ。
農家はシェフと対話せよ
個人が経営する飲食店やレストランのシェフは、調理する技術に長けている。そしてそれ以上に「食材の生かし方」に長けている。
シェフが店の顔となるような外食店では、「調理」と同じぐらい「どんな素材を使うか」が店の特徴づけに大きく影響する。そうした腕が鳴る料理人に支持されてこそ、農家や畜産家が作った野菜や肉や魚は生きるのではないか。
また、生産者と料理人が交流していると、プロ同士で「ピン」とくるインスピレーションだってあるだろう。先のマルシェのように流通の末端にいる消費者に向き合う前に、まず生産者は「シェフ(料理人)」と向き合うべきではないかと思う。
シェフはおいしい料理を「作りたい」と思っている。農家は「使ってほしい」と思っている。そのプロとプロのコミュニケーションの先に、消費者が感動や驚きを覚える「おいしさ」があるのだ。