「“願い”の殆どは叶わない」

帰り、東京駅のホームで、

あれこれ考えていました。

・・・本当のところ、

願い(願望、想い)が叶うことは少ない。

殆ど思い通りにいかない。

届かないし、すれ違うし、どれだけ考え頑張っても、

くねくね曲がりくねった挙句、結局うまく行かない。

・・・そのようなことを思いました。

「人生は、自分の力ではどうすることも出来ない」

というのが私の『一つの結論』です。

努力して、人生を切り拓き、成功や幸福を掴んで行く

という「修行(自力本願)」もあります。

それも人生の『一つの結論』であります。

だけど、それとは全く別の次元で、

「人生は、自分の力ではどうすることも出来ない(他力本願)」という

ものも存在することが、見えてきました。

人生は、

そんな「自力本願(自己努力によって自分の願い、

自分の努力が叶っていくプロセス)」と

「他力本願(天の意志・采配・・・天から与えられるもの。

自分の意志・人間の思惟を超えるものの力によって

物事が成って行くというプロセス)」という

『2本の運命の糸』で織り成されているもののようです。

その他力本願の方の、際たる例(極論)が、

「いくら拒否しても・・・

地球の果てまで逃げても、人間は必ず死ぬ」

「永遠に生き続けたい」とどんなに祈っても、頑張っても、

人間は必ず死んで逝く・・・という事実・境遇です。

結局のところ、

「人生は例え正しい努力をしまくっても、

なるようにしかならない」。

いくら正しい努力をしても掴めない願い…

その願いは叶わないけど、

「宿命」や「運命」という、

私たち人間ではどうすることも出来ない…

天から与えられた境遇を通して、

『願いが叶わないこと自体が、

自分自身の人生にとって必要不可欠な出来事だった』と

分かるようになってきました。

叶わないことから得られる、

悔しいさ、切なさ、反省や懺悔など・・・『気づき・体験』が、

未来に起こる出来事の“糧”になってゆく。

もしも最初から叶わない・縁がないと分かっていたならば、

私たち人間は必死で努力しません。

叶うか叶わないか分からないからこそ、

私たちはまだ見ぬ成功や成就を夢見て、

必死で頑張れるのかなと思いました。

叶わないと分かっていたならば、

私たちは最初から手をつけませんし、

必ず叶うのであれば、最初から傲慢になって、

ついダラダラやってしまいます。

つまり…

「叶うか叶わないかは、やってみないと分からない」

「成功や成就の瞬間(ゴール)ではなく、

そのプロセスが人生において大切&必要

だということです。

成功や成就は人生に時々起こる「ご褒美」のようなもので、

それ以外の殆どの時間は「苦行」であり、

そこに人生の真髄が存在するということです。

このようなところに、

人生における“縁”の摩訶不思議さがあり、

人生修業の根本や醍醐味があるということです。

東京にやって来たり、東京から去る、多くの人たちを、

ぼんやり眺めながら、そんなことを考えていました。