一番大切なのは「自分との約束」

【よしこちゃん お盆にすること】

ここで、みなさまに表明しま〜す(^^;)

①帰ってくる身内のお世話
②お墓参り
③畑の草抜き&植え替えを完璧にする(協力者:母など)
④たまっている録画データを全部観る
 &たまっている本の半分は読む
⑤パソコン不具合のメンテナンス(協力者:兄)
⑥マイカーの傷は出来る範囲で自分で綺麗にペインティングする

以上6つが『自分との約束』です。

早速、ダラダラ過ごしているお盆ですが(滝汗)、

今から本格的に始動しま〜す(^0^)!

日頃じっくり出来ないことを、ちゃんとしたいと思います。

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私自身もそうなのですが(汗)、

普段人様からは見えない&知られない

「自分との約束」を破っている人を結構見聞きします。

誰かから、「いついつまでにこれしておいて」とか、

「何時にどこそこで待ち合わせ」とか・・・

他人と交わす約束を守ることも非常に重要かと思います。

だけど、誰かと交わす約束は、

必ず何割かは、人様の都合や願望、価値観が入ってきます。

ですので、その約束を果たせなくても、

何割かは相手の責任(=罪)になります。

(その割合は約束ごとに変わります)

私がここで問題として取り上げたいのは、

上記の他者との約束ではなく、「自分との約束」です。

例えば、異性にモテたいと願う太り気味の男性がいて、

「俺は、3ヶ月間で10キロ痩せる!」と密かに

自分自身と約束したとします。

最初はその意気込み&勢いで、痩せていきます。

ところがどっこい、

がんばっても効果が出ない時期に差しかかります。

どんなに頑張っていても「試練」として「踊り場」という、

どうしようも進まない(後進する)時期が来ます。

そこで、その男性は、

「ま、太ってても、それが好きな女の子もいるし、

やっぱり好きな食べ物をガッツリ食べれないのは

生きている気がしない・・・」と妥協し、一度自分と約束したことを破って、

ガッツリ焼肉バイキングに行き、一気に体重が戻ってしまいました。

他者からすれば、彼の過去の決意・約束も、妥協も見えないです。

人様から見えないから、別に何ともどってことない・・・

確かにそのような考え方・価値観もあろうかと思います。

だけど、『天』は見ているし、そして何より、

『自分自身』がそんな愚かな有様を把握しているのです。

たとえ地球の果てまで逃げたとしても、

天と自分は追っかけて来る・・・というか、

一緒について来るのです。死ぬまでついて来るのです。

自分との約束を破ったことの罪は、

他者が一切からまない分、100%自分に還ってきます。

そのことに気づいていない人はとても多いです。

ま、そんな人生の細かい選択の妥協は少しは仕方ないと思います。

その少しの失敗(罪)を次の成功の糧として生かせば

その小さな罪は昇華され、“徳”に化ける訳です。

だけど、自分自身との約束を平気で破ることが

常習化している人は、性格や人生自体がくねくね歪みまくり、

罪が積まれまくって、おかしなことになっています。

その異様なおかしさに気づいてないのは自分だけです。

周りの人たち(特に感性・霊性が高い人)は、

「なんとなく、この人は信用・信頼出来ない」という

“気”をその人からキャッチし、

信頼関係の失墜、ビジネスなどの契約の低下などの遠因になっています。

更に根が深いのは、

そのおかしさの元凶(根本的原因)に気づいていないので、

「何か間違っている」とは何となく認識していても、

その負のスパイラルから抜け出せず、

ますますおかしなことになっています。

①自分の胆力(根性)・能力・知識・経験のなさから来る妥協
(その自分との約束を果たすだけの根性や能力などが無い)

②自分自身の煩悩に対する弱さから来る妥協
(自分の色欲・我欲が強すぎて、自分でコントロール出来ない。誘惑に負ける。)

③そして自分自身(の器)の無知による妥協
(自分との約束の目標設定が高過ぎる。
例えば、幼稚園児が東大受験に合格する!という目標設定をするのと同じ。
凡人は、凡人に合った目標設定を一歩一歩クリアーしてゆくものです)

上記3つが、自分自身の約束を平気で破る常習犯の妥協の原因のようです。

・・・己を己自身が的確に知り、

的確に判断・コントロールする能力に乏しい人間が

平気で何度も、自分自身との約束を破って行くのです。

そのような人間は、根拠の無い自信で自分を過信し、

自分の価値観で相手を見下し、ふんぞり返っているか、

逆に根拠の無い不信で、自己不信に陥り、

自己嫌悪に陥り、自分で自分を潰しています。

正に『不幸の堂々巡り』という有様です。

あと、他者を的確に把握することや、

他者と的確なコミュニケーションをする為には、

まずは『己を知る』ということが大切になります。

なぜなら人間は、己を通してでしか、

他者を見れない・判断出来ない動物だからです。

人間は、神仏的偉大なる存在のような

絶対的&客観的評価ではなく、

相対的&主観的評価によって、自分と相手を比べ、その都度一喜一憂し、

相手を知った「つもり」になっている、哀れな動物であります。

娑婆の世界では、どうしても比べてしまうし(相対性)、

自分の思い込みで物事を捉えてしまいます(主観的)。

だけど、そんな心の持ち方では、

いつまで経っても幸せになれません。

なぜなら幸福感は、自分の心が決めるものだからです。

神仏的な絶対的&大局的な物事の見方や判断・・・

いちいち比べるのではなく、

「全て善い」「起こること・与えられるものは全て必然」という

絶対的評価をし、

更に「相手はどう思うだろう?」と他者目線で自分のことや

他のことを観るという客観性を持つことが必要です。

100%絶対的&客観的視点は神仏的レベルの人でないでないと無理ですが、

少しでも、そのような見方が出来るようになりたいもんです〜(^^)。