先日、ある会の懇親会で、
4人で話していたのですが、
そこである別の会の話しになりました。
4人の内2人が、いかにその会が悪い会かと、
コンコン☆と話しておられました。
実は私…その話題に上っていた会に入っているんですが、
そのことは言い出せない雰囲気でした(笑)。
お酒が入っていることもあり、
お二方はかなり感情的にその会の批判をされておられ、
私は反論も含め一切発言せず、
ニコニコ頷きながら聞いていましたが、
お二方の話す内容は、
内部事情を知る私から見ても全て「正論」でした(笑)☆
ただ感情的過ぎてオーバーに表現されてはりましたが(^^;)
組織の内部にいて、どっぷり浸かってしまうと、
その組織のよいところしか見えなくなってしまいます。
そして自分の所属する組織(会)以外は
邪道&邪教状態になり排他的になって、
いつの間にか自らの手で敵をたくさん生んでしまい、
敵からの邪気により人生堕落し、
まさに『人生のアリ地獄』に陥ります。
一つ疑問が沸きました。。。
それは“ある一つの組織や物、
人間を「良い・好き」と判断する人と
「悪い・嫌い」と判断する人がいるのは何故だろう?”
という素朴な疑問です。
私は気づいた次第です。。。
この娑婆の世界に存在する全てのものには必ず、
いいところと悪いところがあり
(ものによってそれらの割合は違うが、
100%善・100%悪というものは存在しない…神仏の世界
〜悟りの境地〜にしか存在しない)、
判断を下す人がどちらの要素に着目するかによって、
善悪や好き嫌いを判断しているんや…ということです。
で、その判断を下す要素をなすのが、
人間ひとりひとりの『価値観』という『物差し』です。
その物差しは一人ひとり違うもので、
遺伝・家系・育った時代や環境、親兄弟、学歴などなど、
あらゆる要素が複雑に影響しながら決まっているようです。
私の場合、なんやかんや嫌な部分があり、
嫌いな部分もありますが、
話題に上った会を辞めるつもりはありません。
私が総合的に判断し「良い・好き」な会だからです。
私はそんな価値観を持っている人間な訳です。
私は同じ会(もの)を大好きという人も、
大嫌いという人も、どちらも冷静に好きな方々です。
どちらの言い分もそれぞれに正しい・・
(が、時々間違っている・勘違いしている)と観ています。
大切なポイントのは、感情(自分のわがまま)で持って、
自分の価値観を押し付けないという、
客観的かつ大局的観点から物事を
『ありのまま』に観ることかと思います。
竹を割ったように見事に美しく、
ある一つのものに対して『大好き!』と『大嫌い!』と
正反対の判断する方が身近にいて下さったおかげで、
本当にシンプルでよいことに気づき、
感謝感激の瞬間でしたぁ〜(^O^)♪