私が入っている経営者団体・八尾商工会議所青年部主催で
今年度より「ジュニアエコノミーカレッジ(JEC)」
(http://jec-net.com/)という事業が始まりました。
このJECは今、全国の商工会議所青年部が主体となって、
どんどん拡がって来ている活動で、
『経営者(商売人)が、次世代の経営者を育てる事業』です。
地元八尾の子どもたちに『本物の商売』を実践させて、
商売の素晴らしさを知って貰おう!というもので、
八尾市教育委員会&八尾市役所に後援頂いていることもあり、
八尾市内の小学4〜6年生のから20数チームという
多くの応募をがあったそうなのですが、
八尾では始めての事業ということもあり、
6チームのみにさせて頂き、スタートしています。
8月23・24日、久宝寺の顕証寺にてその合宿が行われました。
青年部には女性メンバーがほとんどいないので、
小学生の女の子たちの「お世話役」ということで、
この事業を担当する委員会メンバーではないのですが、
2日間そのサポートに参加させて頂きました。
このJECのマニュアルは、かなり洗練されうまく出来ていて、
基本テキストも子供向けに凄くわかりやすく出来ていて、
そのテキストに沿って株式会社の作り方、食中毒を出さない方法など、
滞り無く、商売で大切なことを担当委員会の方々が説明されて行きました。
ひと通りの説明(講義)の後は、
いよいよ各チーム内で、事業計画書や収支計画を練り、
「ドリームボード」というものを作り、
証券取引所や銀行で株券や融資を受ける為に必要な
プレゼンテーション資料を作って行きました。
私が『サポーター』として担当している、
6年生女の子5人のチームは、
最初はかなりなめてかかっていたのですが(笑)、
さすが6年の女子だけあって、
一度目の色が変わると、大人顔負けの敏速且つ的確なコミュニケーション能力で
テキパキと役割分担しながら、一気にいろんなものを構築していきました。
「証券取引所」役のおじさんたちに、
一度「こういうことが不明瞭なので、
株券を発行できません。計画を練りなおして下さい」と
つっぱねられても、ちゃんとどこが不明瞭でダメだったか理解して、
それをサポーターの助けを借りつつも、すぐに解決させて、
株券を発行することが出来ました。
最初はダラダラしていた6チーム(各5名)の子どもたちでしたが、
この2日間で商売に対して一気に本気モードになっていきました。
9月7日の「やお河内音頭祭り」でそれぞれのチームがお店を出し、
それぞれ趣向の凝らしたものを販売します。
私が今回、このサポーター役を通して気づいたことは、
子ども・大人という、2つの別のカテゴリーに属する人間ではなくて、
『一人の人間』『一つの道筋』であるということです。
子どもだから商売を100%分かっていない、
大人だから商売を100%分かっている・・・という
そんなはっきりと線引き出来るものではないということです。
子どもでも商売センスがかなりある(客観的視点を持つ)子がいます。
しかも、子どもたちはとにかく「すなお」です。
商売に対する知識や経験がないので、
白いキャンパスに絵を描くが如く、
私たちサポーターの忠告や意見、提案をそのまま&すなおに聞いてくれます。
だから、トントン拍子に物事が進んで行くし、失敗しても切り返しが早い。
このすなおさ、先入観のなさは、
私たち大人は謙虚に見なわなければなりません。
間違ったことは受け入れる必要はありませんが、
正しいことは、いくら耳が痛くてもすなおに受け取らなければなりません。
結局、商売も人生も、すなおに実践する・・・
正しいことを敏速且つ的確に実践することが、
最も早い成功の近道だということを、
子どもたちの言動を通して、確信を得た次第です。
・・・この事業は、
お店で多く利益を出せば優勝というものではなく、
チームみんなで協力してやったかとか、
時間とか計画とかちゃんと守ったとか、
態度が良かったかとか、一所懸命だったかとか、
あらゆる角度から判断して決めます。(審査員が数名います)
だけど、例えば「一円でも多く儲けて、自分たちに利益を還元したい」と思い、
原価そのままで売価や販売個数を上げようとするのですが、
まつり本番の中の『3時間』という限られた時間内で、
それらが本当にその価格で売り切れるのか?という視点が欠如し、
爆走しようとします。
そんな時は、サポーターの出番で、
「3時間(180分)で200本のジュースが本当に売れると思う?
1分で1本以上の割合で、本当に売れる?
他にもジュースを売るお店(競合店)はあるし、
他のお店が自分たちより10円とか安く売ったらどないするの?」って
子どもたちにもう一度考えさせます。
そうしたら、子どもたちは、
今まで自分になかった視点(見方、価値観)を学びます。
「そうか・・・。売れ残こるという可能性があって、
もしそうなったら、結局損するもんな〜」って。
今までの彼らの10年や12年間の人生で、
相手がどう思って、その相手にどうすれば喜んでくれるか?
どうすれば金銭的利益を確保出来るのか?
ということを本格的且つ体系的に学ぶ機会は皆無だったと思います。
つまり、自身の快楽の充足のみを追求する『主観的な視点』のみの人生から
この商売体験を通して、本来人間としてあるべき『客観的な視点』を知る・学ぶ訳です。
しかも、やお河内音頭まつりという本物のフィールドで、
本物のお金を使って実践する訳です。だからますます本気になっていきます。
(しかも、本物の「てきや」もたくさん出店しています)
高校生の模擬店とかのレベルよりもチョット高いです。
とにかく、あらゆる角度から
自分たちの商売を推測・検証・判断し、創造していく。
そして本番も想定外のことで四苦八苦しながら、実践する。
そして最後の「ふりかえりセミナー」で
商売の「後始末(検証や、お世話になった人へのお礼状書き等)」をします。
商売のPDCAをみっちり学んで実践していきます。
今まで、親に小遣いとして「当たり前」に毎月数千円もらったりしていたけど、
自分でお金を稼ぐことの大変さに気づけば、
親に対する感謝や畏敬の念、物(お金)や仲間、
そしてお客様(人)に対する感謝の念が
深まっていくのではないでしょうか?
そんな念(今の心)が、これからの彼ら彼女らの
人生の中で深まり熟成されていって、
地元や日本(のビジネス)を支える大人になっていって欲しいと願っています。
ほんと、この事業の担当委員会の方々をはじめ、
青年部の先輩方は、子どもたちのために多くの時間を割いて、
すごく大変やなって思います。
ボランティアでかけれる時間や労力を超えていると感じました。
主催者も全員ボランティアですから、
こちら側も熱い念がないと、最後までちゃんと貫き通せません。
だけど子どもたちの教育や、その親御さんたちとのやりとりの中で、
ご自身のビジネスや人生に役立つあらゆる気づきが
たくさんあるそうで・・・
そしてなんといっても、子どもたちの真剣さと笑顔を励みにされながら、
担当委員会のみなさんもしんどいながらも、
とっても活き活きと動いておられました。
子ども=未来。
未来が笑うと、
希望の光が差して未来が輝く。。。すてきですね(%笑う女%)(%星%)
あと、個人的にめちゃくちゃおもしろかったのが、
合宿のセミナー初日の夕方以降の出来事です。
まず、女の子たちと地元久宝寺の銭湯に行き、
銭湯初体験の子が多く、しかも思春期入った子たちなので、
「恥ずかしい〜」とか言いながらタオルで隠しまくって入っていくのが、
めちゃくちゃ可愛いかったです。
「ああ。私も、そんな時代もあったね〜とぉ〜♪」って
中島みゆき状態になりました(遠い目&笑)☆
私は堂々としたもんで(ー0ー;爆)、
子どもたちが滑って転んだり、他のお客さんにご迷惑がかからないように
あれこれ氣を使っていたこともあり、タオルで隠している場合じゃありませんデシタ〜☆
にしても、子どもたちに・・・
「おばちゃん」
と言われたのが、
すなおにショックでした。。。(>0<)!
サポートしていた女の子たちに最初に言われた時、
「おねえちゃんと言わなければ、私は帰る!」と
大人げなく、半分以上本気で言ってしまいマシタ(凹)。
私の甥と姪には「おねえちゃん」と言わせていますが、
確かに、もう「おばちゃん」なんです。
37歳独身女子の現実を「おばちゃん」という言葉を通して
ぐっさり!突きつけられマシタ(T0T)!!!!!
だけど、面白いもんで、
女の子たちが、私に対して本当に感謝の念を表現したい時や
何か真剣にお願いしたい時は、
私の名札に書いてある「よしこちゃん」で呼んでくれます。
小学6年生の子どもたちは、
普段は言い方がラクな呼び方をしますが、
そんな感じで、彼女たちなりに『使い分け』をします。
ちゃんと状況や人を見て判断しています。
その判断は正しいか間違っているかは置いておいて、
とにかく、ちゃんとそんな大人の視点が育まれているんやなぁ〜って
感心した次第です(%ニコ女%)(%音符1%)
夕食後、「フルーツバスケット」などのゲームをして大盛り上がり!
そして夜のメインイベント『肝試し』っ(^0^)!!!
私は、『お化けをやらして欲しい〜!』と立候補し、
顕証寺でいつもされている肝試しルートのスタート地点にある
お墓横の『納骨堂』の正面奥にある阿弥陀如来の前に、
着古したお遍路スタイルで座り、何故かピンク色の乱れ髪のカツラを被り、
阿弥陀如来横の蝋燭以外は全部消して、
ひたすら、小さく鐘を鳴らしながら一人でブツブツ般若心経を唱えているという
『お遍路お化け』を演じさせて頂きましたぁ〜(^0^)♪ <右上写真>
数分置きに、小さいLEDライトを持った子ども数名が
私の後ろにある入口からビビリながら入って来ます。
お骨が入っている棚を通り、私に近づいてきます。
「うわ〜!誰かおる!!!」とか恐怖でおののく声に
んもー、よしこちゃん。笑いが止まりませ〜んっ(^O^)!
笑ったら、恐怖が一気に下がるので、
笑いを殺しながら、恐ろしいお坊さんの役に徹し、
重低音で般若心経をブツブツ唱えます。
誰も私の半径5メートル以内に近づく者はおらず・・・
私は子どもたちに「右の扉を入ってってください。。。」とだけ言い、
またブツブツと般若心経を唱え、鐘を鳴らします。
(敢えて「わ〜!」とか言って驚かさないのがポイントです。
スタート地点なので、じわ〜っと怖い雰囲気を醸し出します)
時々、青年部の先輩方が子どもたちと一緒に入って来るパターンもあり、
先輩女子のかおりさんが
「きゃー!!大橋さん、怖い〜〜っ(>0<)!」っておののきながら、
私のお遍路お化けの写真を激写してくださりマシタ〜♪
暗闇だと怖さ200%のお化けなんですが、
フラッシュたくと、200%マヌケなよしこちゃんデス(ー0ー;恥)
ある男の子二人なんて、
私の5メートル後方でフリーズしながら、
「あれ?どっち行くの?行き止まり〜っ!?」と狼狽し、私が
「右の扉を入ってってください。。。」というと、
「ありがとうございましたぁ〜〜〜〜!」って
二人一斉に床に綺麗に土下座して、そさくさと去って行きました☆
人様に土下座されたのは人生で始めてです。
よっぽど怖かったんでしょうネ〜(笑)。
さらに、後で先輩から聞いた話なんですが、
あまりにも私のお経をあげるのが様になっていたらしく、
ある子どもが・・・
「ボクが肝試し行った時、夜やのにまだお坊さんがお勤めしてはったで〜」って、
お化けとか自分たちを驚かす人間だと思わなかったそうです(更に、笑)。
にしても、いつになってもこの手のことは
大好きなよしこちゃんでありマシタ〜(^0^)♪
で、就寝の時間になり、子どもたちは寝る気配もなく。。。
女子は「ガールズトーク」で大盛り上がり(^^)♪
3つの小学校の女の子たちがいたのですが、
「ガールズトーク」は自己紹介からはじまり、
今まで知らんぷりしていた子たちが一気に仲良くなって、
夜遅くまであれこれ話していました。
「おばちゃん(←私のこと)、寝てるやんなぁ!?実はここだけの話〜・・・」
って感じで、私が寝ている間の話がすごかった☆
実際、寝ているふりというか、だんだん彼女たちの声が大きくなり、
起きてしまうので、聞こえて来るんです。。。
ほんと、この公なブログでは書けませんが(爆)、
最近の小学生は、すごい。。。
私たちの時代よりも進化しているというか、
マセているぞ〜〜〜コラ〜っ(>0<)☆☆☆☆☆
「ガールズトーク」のせいで、かなり睡眠不足でしたが(笑)、
今の小学生女子の事情(本音)が手に取るように分かり、
今の社会は、こんなところでもスピードアップしてるんやなぁって
実感した次第です。
古今東西、いろんな人のことを知るのは、本当に楽しいですし、
勉強になります。
・・・翌朝は6時半に起きて、
顕証寺本堂での「お勤め」に参加させて頂きました。
私の家は先祖代々浄土真宗のようで、
この顕証寺さんと同じなので、
このお勤めを通して、かなりざっくりですが、
浄土真宗というものの外郭がうっすらと見えて来ました。
私はお遍路行をしているので、真言宗の外郭を今かじっていますが、
その違いが、じわっと見えて来ました。
今まで浄土真宗=お葬式や月命日でお坊さんがお経を上げるだけのもの
というイメージしかなかったので、さっぱり分かりませんでしたので、
朝から新鮮な驚きがありました。
私が今日気づいた浄土真宗のイメージは、
とにかく教えや信仰の方法がシンプルだということです。
「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば、幸せになれるということです。
シンプルなので、だれでも実行実践出来ます。
だからみんなカンタンに幸せになれる・成仏出来るということです。
またあれしたらアカン、これせなアカンという縛りがゆるい感じです。
しかも経済的(比較的安価)に信仰出来るようです。
で、信仰の場所は近所にある浄土真宗のお寺であり、
自宅にある仏壇、お墓であります。
シンプルだからこそ、今も多くの人達が浄土真宗を信仰している・・・
というか、戦国時代・江戸時代あたりからの『惰性』で
ずっとそうなっているという感じです。
現代では、縛りがゆるいのが、さらにゆるくなっているので、
空気のように見えない・・・当たり前のようになっています。
昨晩、肝試しの時、納骨堂で般若心経をブツブツ唱えていましたが、
浄土真宗では、般若心経は唱えないようです。
般若心経は276文字という短くてシンプルなお経(幸せになるための言葉)ですが、
浄土真宗の信者はとにかく「南無阿弥陀仏」という
6文字さえ唱えておけばいいという感じです。
だから、顕証寺のお勤めでは最後、
「南無阿弥陀仏」や「なぁまんだ〜」ばかり唱えます。
お勤めがたったの10分で終わったのも、新鮮な驚きがありました。
お四国のお寺だったら、お坊さんの最後のお言葉も含め、30分はあります。
護摩焚きや太鼓や鐘など、結構派手にやってくださるのですが、
とにかく顕証寺さんは淡々と読経して終わり・・・シンプルでした。
私は最近思うのですが、
天と地の間で彷徨う一般大衆の救済するための教え(宗教)は、
シンプルでだれでも分かりやすいものの方がいいと思います。
人間に対する教えというものは、
大きく分けて2つあると考えています。
まず、上記の大衆を救済する教えです。
自分自身がよりよく、幸せに生きて、幸せに死にゆくための教えです。
私は、浄土真宗のシンプルな教えは、
多くの一般大衆を救済するための教えだと捉えています。
毎日鍬持って、せっせと田畑を耕す・・・学のない人でも何も考えず、
阿弥陀如来に手を合わせてひたすら「なぁまんだ〜」と救済を依頼する、
気持ちさえあれば、赤ちゃんからお年寄りまで全員が出来ることです。
私たち農耕民族に順応した教え&信仰方法だと思います。
だけど、もうひとつあります。
それは、大衆を救済する人間のための教えです。
彷徨う大衆と仏との関係を取り持つ、サポーターの役をする人間のことです。
これはシンプルで簡単なものではありません。
複雑で底なしの教えであります。
おそらく浄土真宗の世界にも、あるかと思いますが、
私はその教えが『密教』や、
大峰山のような『山岳宗教』の中にあるような気がしてならないのです。
浄土真宗の世界は、過酷な荒行を通して、
自身の心身で体感体得するというアプローチではなく、
座学をメインに親鸞をはじめ過去の聖人の価値観や、
阿弥陀如来に近づいて行くというイメージがあります。
(実際そうかは勉強不足のため、分かりません)
決して座学(知識。頭を鍛える)ことを否定するつもりはありませんが、
生死を賭けた過酷な場所や境遇に自分の身を置き、
そこで荒行をすることによって、気づくこと・得られるものがあり、
この体験で得れることは、座学では知識としては理解出来ても、
心では理解出来ないということです。
自分自身が、荒行を通して本当に死にかけるからこそ、
(※本当に死んでしまったら、生きている人を救済するサポートは出来ない)
本当に死にかけている人の立場に立って、
死にゆく人のサポート(安らかな眠り)をサポート出来るのではないでしょうか。
・・・私が入っている、倫理法人会(家庭倫理の会)では、
(※この会は宗教法人ではなく社団法人で大人の生涯学習の団体です)
基本テキストとして『万人幸福の栞』というものがあり、
そのテキストをもとに日々学んで実践していますが、
そのテキストは、浄土真宗で言うところの
「南無阿弥陀仏」のようなイメージがあります。
そのテキストはあくまで、
「こうすれば、自身や周りの人が幸せになれます」と
生活や経営に自身の言動を落とし込む方法が、
とても平易な言葉で書かれているだけです。
だけど、そこに書かれていることだけでは、上記にも書きましたが、
彷徨う大衆と仏との関係を取り持つ、サポーターの役をする人間の
「在り方」や「やり方」はほぼ書かれていません。
だからこれ以外にも、あらゆる難しい書物を読み、
もっと深い核心の部分を知りながら、
もっと高くて深い実践をする必要があると感じています。
(また、そうすることによって『万人幸福の栞』の理解も深まる。
この2つの教えには相関性があります)
・・・そんなカンダで、いつもと違う場所に行き、
いつもと違うことをしてみると、いつもと違うアプローチで
気づきが得られます。
だけど面白いのが、日々疑問に思っていること、
日々知りたいと思っていることが、いくら違う場所で違う物事をしていても、
少しずつ明確になっていくということです。
つまり、いつどこにいても、何をしていても、
ひとつのゴールを目指して、一本の道筋を歩んでるようです。
人様から見えれば、無駄な回り道をしているように見えても、
私からすれば、一本のまっすぐな『人生遍路道』であります。
全ての出来事や気づきは、必然であり、
その一つひとつの中に“命”があり、人生そのものであります。
私の人生の命の点が線になり、
それが誰かの命にいい影響を及ぼして、
面になって拡がっていけばいいなと思います(%笑う女%)(%王冠%)