神様仏様という、所謂『目に見えない存在』は
人によって『違う部分』があろうかと思われます。
それは何故か?
…そのような存在が、それぞれの人の心の中にあり、
その人その人の心次第で、コロコロと・・・
その存在の有無から、質・内容が変わるものだからです(相対的存在)。
一方、誰もが同じように感じる・在る認める『絶対的な側面』もあります。
「神仏は必ず存在する」それを具現化した場所が神社仏閣であり、
そこでお勤めされる方々です。
またそれらを具現化した物が、信仰の中心物である山や鏡、
そして仏像というたぐいのものであろうかと思われます。
が、「絶対的神仏」を感じ、お力を頂く・・・
っていうか、そのお力を借りて、自分の力を覚醒させるためにはやはり、
自分の心の中にある「相対的な神仏」を
日々の修行によって目覚めさせ、育まなければならないと思います。
そもそも神仏とは何か?…
それは、『未来のあるべき自分』であり、
『なりたい自分・人生の希望そのもの』・・・
自身の完璧な姿・有様(ありよう)、そのものなのではないでしょうか。
自分の心にある相対的な神仏を『修業』により、
絶対的な神仏(だれから見ても・いつの時代から見ても
幸せ&完璧な自分)近づけてゆく。
自分勝手に作り上げた神仏(有り様)・自己快楽だけを求め
周りが・・・結局自分も不幸になって逝く有り様では、
全ての存在から認められ、救われる訳がない。
結局のところ、救う神・仏は自分自身の心の中にしかしかないと思います。
病気を治すのも、人生をよくするのも、老いて死を受け入れるのも、
自分の中にいる神仏の力を引き起こして成せる術(力)であり、
誰かや何かにすがって簡単に身につくものではない。
人生の基本はあくまで『自力本願(自己責任&努力)』であり、
それがあって始めて『他力本願(人等からの応援)』という
追い風(神風)が吹いて、全てが好転し、結実成就する。
事業不振や重度の病気になるには必ず『因果応報』で、
必ず張本人(や家系)に原因がある訳です。
つまり本人に『罪(責任)』がある訳です。
(マイナスからゼロに戻す苦難「マイナスの苦難」)
また同時に、人生をよりよい方向に、より幸せに成らせる為に、
起こるという苦難のカタチもあろうかと思います。
(ゼロからプラスに上げる苦難「プラスの苦難」)
そのような自己の修行の怠慢を棚の上に置いて
(つまり、堕落した間違った価値観や習慣を『過酷な修業』によって変えない)、
神仏にすがり「助けてください」と必死になっている…
しかも今まで
『物カネ、オンナ…自分さえよければいい・相手の幸せはどうでもいい』と
見える世界・ラクで華やかな快楽しか追い求めて来なかった
信仰心ゼロ(っていうか、神仏に代表される『見えないもの』
を迷信と卑下し、信仰を批判してきた輩)が、
『振り子の原理』で、「最後の最後のすがり処」ってなもんで、
必死の血相で、神社仏閣にやって来られる方が時々見かけます。
本当の絶対的神仏をありのままに
感じることがだんだんと出来るようになって来れば、
自分もありのままに見え、ありのままに自然に生きることが出来る。
やって来るのはマイナスの苦難ではなく、プラスの苦難だけになって来ます。
・・・神仏の見方捉え方から神仏に求めるものや、
信仰の質や量の全ては、人によって違うようです。
(人間にはそれぞれの使命役割があるから、苦難や信仰に求めるカタチも違うようです)
だから古今東西、様々な神仏の姿や信仰方法が生み出されは消え、残ってきたようです。
結局のところ残るのは真理を貫いた本物だけです。
(人間も企業・組織もそうでしょう)
・・・人間には、大きく分けて3つのエネルギーを
持っているようです。(もっと細かく分けることも出来るようです)
①動物の力=生命エネルギーのもと、
生命欲、生殖能力(性欲)、物欲、名誉欲
(下半身あたりにエネルギーの発信源があります)
②人間の力=調和力、調整能力、みんなと仲良くする能力、
自分が所属する組織(コミュニティ)をよくしていく能力
(心臓あたりの身体の真ん中にエネルギーの発信源があります)
③神仏の力=無限の可能性。万能の力
(両目の間あたりにエネルギーの発信源があります)
人によって、この3つの強弱が違いますが、
偏ることなく、もしくはTPOの応じたエネルギーの出し方が出来、
その時々に応じて、その3つが一人の人間の心の中でうまく調和すると、
自他共に幸せな人生が歩めるようです。
・・・そもそも人生とは『アリとキリギリス』という、
イソップ童話(教訓)にもありますように、
アリのように毎日コツコツ地道に生きれば、
まさかの時にドツボにハマりませんよ…ということのようです。
一発大逆転出来る人間は、実はキリギリス的人間ではなく、
アリ的人生を地道に歩む人間であります。
普段の積み重ねがあるから・凡事徹底&終始一貫
というしっかりとした土台があるからこそ、
確実な自己改革&自己成長が齎される訳です。
強固な土台なき人間の人生や経営は脆く、
人生の『まさか』という坂が起こったら一気に崩壊です。
(人生の3つの坂:上り坂・下り坂・まさか)
エジプトのピラミッドが、時代を経ても崩壊しないのは、
土台がしっかりしているからです。
昔『ジェンガ』という積木みたいな
棒を抜いていくゲームが流行りましたが、
ジェンガのような、土台が不安定でグジャグシャ…
高さだけは妙〜に高い大人(経営者が多い)が存在します。
観察しておりますと、いつ全てが崩壊するかと、ヒヤヒヤします…
ご本人たちはイケイケドンドン&問題(本当にすべき事)先回しでも
ケセラセラ〜状態ですが…(^^;)。
【今日の一句】
コツコツと 大地かみしめ 遍路道 我が道を逝く 秋の黄昏(たそがれ)
(やがて必ず訪れる『死』をちょっと意識しながら、
今与えられている『生』をかみしめたいですネ)