先週末、縁結びの神様「出雲大社」に
行って来ましたぁ〜(^0^)☆
さすが、10月は全国の神様が出雲の集まる
という「神在月」だけあり、
多くの参拝客で賑わっていました。
今回で4回目の参拝となります。
肝心の?婚カツ男子とのご縁はサッパリですが、
(どうやら、祓い給えと清め給え〜♪と唱えながら、
婚カツ男子をも祓ってもうてるようです(ー0ー;)!?笑)
その他のご縁はおかげさまで日々、感謝感激状態です(*^人^*)〜☆
婚カツ祈願をサラっと済ませた後、
ふっと空を見上げると、大きな日の丸が。。。
思わず、写真撮影っ☆
大空に悠々とたくましくなびく、日章旗を見上げておりますと、
じわー・・・と大地からつま先から、沸き起こる血潮・・・みたいな
深い感謝と感動が沸き起こってきました。
「ああ、日本人なんや、私って」
「ああ、日本で生まれてよかった」
「日本人でよかった」
日本人としてのアイデンティティーや自尊心のようなものが、
じんわり・・・そしてふつふつを沸き起こってきました。
今後も古き良き日本人の素晴らしい文化(志)を伝承しつつ、
最も古くて新しい「新・日本人」・・・いや、
「真・日本人」を目指して行きたいと改めて誓いを立てた次第です。
で、次は「さざれ石」に足を止めました。
(写真のさざれ石は、出雲地方の別の神社のものです)
出雲大社の駐車場の前に大きなさざれ石がありました。
日本国歌「君が代」
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌となりて
苔のむすまで
改めてこの歌詞をかみしめてみますと、
他の国の国歌と比べて、何とも地味〜な歌やなって思います(笑)。
だけど、その中に静かに秘める『何か』は
我々日本人にこそ分かる、真理〜あるべき姿・日本人像〜
なのではないでしょうか?
【以前のブログ】———————————————
日本の『国旗』と『君が代』が出来た経緯にビックリ〜w(゜o゜)w☆
https://www.voluntary.jp/weblog/myblog/43837/3943666#3943666
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ってことで、これからも、地味〜〜〜っに
そして輝いて生きて参りま〜す(^0^)!
今回、出雲大社以外にも、
出雲地方にあるあっちこっちの神社に行きました。
(あるツアーに参加しました)
そこで思ったことを書きます。
神社であれ、テーマーパークであれ、
あっちこっち今まで行ったことのない場所に行くのは
新鮮で知的好奇心をくすぐる、面白いものだと思います。
ただ、信仰の場であります、
神社仏閣などの宗教的な場所に関しては、
あっちこっち行って、あっちこっちの神様仏様に祈願するのは
私はだんだんと申し訳なって来ました。。。
なんか、浮気しまくっているという感じです(笑)。
それに、出雲を始め普段行かない神社仏閣は
「お隣さん」「ご近所さん」という感じで、親近感は当然あるのですが、
「自分の家・場所」という感じまでは、感じないという印象を受けました。
・・・私が思いますに、どの宗教のどの場所で祈願しても、
その願いや祈り、誓いが行き着く先は「一つ」だと思うんです。
つまり、祈願のゴール地点は同じですので、
スタート地点はいつも同じ場所でも、
あっちこっち行ってもどちらでもいいと思います。
人間にも個性(違い)があるように、
神社仏閣にも、祀られているものやその場所の歴史、
地場(内外の環境)の違いがあり、また管理されている人の違いもあり・・・
「色・個性」というものがあります。
ですので、「ここが●●に効く・ご利益があるからいい」とかでははく、
自分の色・フィーリングの合う神社仏閣などの
宗教的な場で祈願すればいいと思いますし、
そもそも、わざわざどっかの場所に行かなくても、
「あ、今、祈願しよ!」って、自宅でも職場でも、
思いついた場所で、思いついた時に祈願すれば、
通じる場所・ゴールは同じなので、それでOKだと思うんです。
(ただ、私のような凡人は、やはり祈願する対象物が目の前にあったり、
祈願専門の場所の方が祈願しやすことは間違いないです)
・・・私の場合は、
日々の生活の中に祈り・祈願というものが身近にありますが、
それ以外に率先垂範して行っているのが、
奈良・桜井の三輪大社と地元の氏神さまを参拝し(毎月1日)、
お寺に関しては、奈良・吉野にある金峯山寺蔵王堂や龍泉寺、
高野山、そして四国や小豆島の遍路の札所のお寺で祈願をします。
(つまり、役行者&弘法大師空海にゆかりのある一部のお寺・聖地のみです)
私は、あっちこっち行くよりも、
選択と集中で一点集中型&比較的近場が
好きなタイプの人間のようですので、
今後も、自分のペースで
自分のフィーリングにあう、ご縁ある場所で
自分自身や誰か・何かのために
祈願し続けたいなと思いました(^^)☆