夢と志の違い 〜坂の上の雲を掴む〜

『夢』はまるで雲を掴むが如く、

その人の心に浮かぶ『“坂の上の雲”の風景』であります。

「…楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、

前のみ見つめながらあるく。

のぼってゆく坂の上の青い天に

もし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、

それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。」

(司馬遼太郎・著 『坂の上の雲』あとがき一より)

『夢』とは自身の願望でありの心に広がる、

『希望』そのものであり、

自身が描いた風景画のようで、

生きるためのエンジンそのもの。

そしてよりよく生きるための羅針盤・地図であります。

一方『志』とは、夢の一種であり、

夢がベースにあって作られてゆくものだと

私は考えています。

簡単に言いますと、

「自分の夢」というベースに

『自分以外の誰か・何かのため』が加わった…

つまり、自分自身の夢であると同時に誰かの・何かの…

みんなの夢に成ることが即ち『志』だということです。

その夢が自分だけのものから

みんなのものになる瞬間が

『志を立てる』瞬間

なのではないでしょうか。

その人その人の夢の内容や質はピンキリです。

「子供の時病気がちで、お医者さんに助けられたから、

僕は大人になったら医師になって、子供たちを助けたい」

という限りなく志に近い夢から、

「俺は嫁以外の麗しき女性とたくさん性的関係を持ちモテまくりたい」という、

非倫理的でただの動物的自己快楽のみの願望まで、

天地の差があるのが『夢』というものかと思います。

『志』というものは、

「自分の夢が叶って嬉しい・幸せなのは自分だけ」

なものは、完全に当てはまりません。

・・・本物且つ本来の『幕末の志士』とは、

“志”がついていますので、

「武士として世に名を轟かせたい」

「銭儲けしまくって豪遊したい」という類いの…

雲の如くぷかぷかと浮かぶさ迷う

悪い煩悩が活動のエネルギー主体ではなく、

志を一本、心の中心に立てて、

「どんなことがあっても俺は家族を仲間を藩を国を守り抜くんや!」と、

己の我欲のエネルギーを全て

『捨我→超我のエネルギー』に昇華させ、

正に命かけて、一度心の中に立てた志を貫き通す

雄々しい人間のことを言うと思います。

ここまで思い至ると、私も含め、

いかに『平成のナンチャッテ志士』は堕落し、

女々しくなり下がり、

低レベルに安住しているか…と思い至ると、

残念無念!情けなくなります(凹)。

人生、何歳まで健康に楽しく生きるか?も大切だと思います。

だけど人生、それだけでは

何だか少し物足りない感じは私はいたします。

その心身の健康的生活に加え、

何らかの志を立て、それを貫き通すことが、

人生で味わえる最も高次元な醍醐味・幸福なんだと、

私は考えています。

健康な心身の保持に加え、

自分の人生における使命役割に目醒め、

志を立て、それをどんなことがあっても

貫き通すことが出来たか…?

そしてその賛同者や応援者、仲間“同志”が

どれだけたくさんいたか?…ということが、

究極の人間道のゆくべき先であり、正に昇天し、

『坂の上の雲』を“掴んだ”という境地なのではないでしょうか。

いやはや…。

まだまだ成すべきこと、

達すべき事は果てしなく多いデスネ…(*_*;)

ま、長き・遠き道のりだからこそ、

その道を歩く楽しみや醍醐味も増える…ということでしょうか(笑)☆