私は小さい箱に詰め込まれている・・・
という感じが、幼少の時からつい最近まで
ありました。
小さな箱=ある一定の価値観であります。
世間一般の価値観と言いますか、風潮・・・
何となく、こうせなアカンと漂っている空気のようなものです。
(そんな空気って、本当に正しいのでしょうかね。
よくよく冷静になって考えてみたら、空気のようで実態がありません)
幼少の頃、最も嫌悪感を頂いた言葉は、母親からの・・・
「女の子やねんから、もっと女の子らしくしなさい!」
「女の子やねんから、大股で歩いたらアカン!」
「女の子やねんから、皿洗いくらいしなさい!」
「女の子やねんから、もっと行儀よくしなさい!」
「女の子やねんから、ちゃんとお化粧しなさい!」・・・等など。
さすがに37歳になった今の私は、
老いる親とのパワーバランスが微妙に変わり、
さらに母親がいよいよ「ナンボ言っても変わらんわ、この子」と
「諦めの境地」(?)に達してくれたおかげで、
今は昔程、強烈な責め心で言われなくなり、日々精神的苦痛もなく
自由に生きていますが(笑)、
元々自由を愛し、束縛を嫌う・・・男性っぽい女性に生まれた私は、
とにかく、この言葉が嫌で嫌で苦痛で仕方がなかったんです。
・・・私は鳥カゴに入れられた鳥やない。
私は、鳥カゴの中で、誰かの思うように生きる
型にはまった生き方は大嫌い・・・
そんな従順な生き方が出来ない・・・いや、
「しない」性を持って生まれて来た。
私は宇宙に羽ばたける無限という可能性を秘めた魂を持つ人間。
誰にも何にも、私を邪魔させない。
だから私はこんな人生を自らの意思で選択して生きて来た。
みんなから見れば、曲がりくねった道であり、
道なき雑草が生える、何の魅力も羨ましさもない道かも知れないが、
私にとっては、空港の滑走路のように、太くまっすぐな一本道であった。
私が最も愛するものは『無限なる宇宙(可能性)』・・・
それを邪魔するのは、
今まで『他人』だと思っていた。
だけど最も&圧倒的に邪魔をする、
手強い敵は『自分自身』だったということに気づく。
ラクに生きたい、人から評価されたい、褒められたい・・・
そのような雑念が、結局自分自身の可能性を狭め、
自分自身の手で、自分自身を不幸に陥れてたことに、今気づく。
だから今私は、鳥カゴから出てくる。
「あれ?カギは、かかっていなかったんや!」って
またまたそんなことに気づく私。
結局、自分の選択で、誰からも強制されないで、
率先してそんな狭いカゴの中に入り込んでいた
ということに気づく。
やっと私は自由の身だ。そんなかんだで、
箱から鳥カゴから這い出てきた。
自分自身から開放される。
誰がどう、何がどう、 過去がどうとか関係ない。
ただあるのは『今』だけであり『私』だけである。
今、今、今!
結局今しかない。
過ぎ去った今が過去であり、これから訪れる今が未来。
過去の生き方の結果が今にあり、
今の生き方が未来に結果が出るだけのことだ。
つまり過去も未来も自身が作った主観的な幻想・妄想である。
ありのまま・正確に全ての過去を思い出し、
未来を予測出来る人間は、この世に存在しない。
だから『今』という瞬間瞬間を大事にしない人間は、
過去を悔やみ後悔し、そして未来を憂え悲観し、
結果その通りの人生になり、人生に絶望する。
結局のところ、
自身の人生はこんな感じで
自分自身で想像した通りに人生を創造してゆくものだ。
私は今、そのことにはっきりと気づく。
・・・私は、私の人生の主人公であり、監督であり、シナリオライターである。
全てが自分の自作自演の人生物語。
その一本の物語を、私が今を精一杯演じている。
それは私があの世に還るまで行われる、一本の演劇である。
私は二度と『もう一人の自分』に私の人生の支配を受けない。
もう二度と狭い箱やカゴに詰められ、そこに安住する気はない。
私は今日、それを決意した次第です。
なんだか、37年間、ずっと感じて来た「何か」を捨てることが出来、
肩の力が抜けて、すっとしました。