2014年10月14日〜16日
南相馬市小高区ほか被災地
南相馬市被災地巡りをして、印象に残っていることは、小高区の駅、小高駅でしょうか、駅の自転車置き場には、3.11当日のままのぎっしり整然と置かれた高校へ通学のための自転車でした。この自転車はどうなるのでしょうか?
小高区には、福島原発から20キロ圏内の場所があり、そこは「強制避難地区」。20キロを1mでも超えた場所は、普通に生活をしている地区もある。20キロの区域に入る道路にはパトカーがパトライトを点滅させている。
1月に案内して頂いた時には、持ち主の判らない自家用車が畑や田んぼの中に点々としていたのが、「除染瓦礫置き場」が決まったので、お家の取り壊し、置き場所がなくて動かせなかったものも処理されるようになったそうです。
小高区は線量が低いけれど20キロ圏内の所もあり、現在は避難しているが、除染をして帰宅可能地区になるそうです。現在は日中はお商売をしても良い、散髪屋さんが一軒、店を開いていると聞きました。
帰宅を希望しているお家は、日中戻ってきて、家の中を片付けされたり、玄関周りも綺麗になっていて植木鉢に花を咲かせている家も見えました。半壊しているお家は、取壊し作業をしている。傷んでいない家のお隣を壊しているのを見て、大変な作業だと考えさせられた。様々な状態で元の小高区には戻るのだろうか? 他人事ながら心配をしている。
田んぼや畑は4年近く、放置されているので、1からの出直し。高齢化しているので、その出直しもままならない。国からの補助金で区画整理して田んぼを広く使う事業を始めたが、区画整理が終わった途端の大震災、そのままになっていて、一度も耕作しないままの田んぼか畑もありました。
海岸は、波乗りに良い条件の波があり、賑わっていた場所は台風の後のせいか、大きな白波がたっていました。東北電力火力発電所がそびえたつ傍の海岸でした。発電所も波が来て、何ヶ月間か停止をしていたが、現在は稼働している。
仮設住宅事情
入居最優先がお年寄り、小さい子供のいる家庭が早く入居した。プレハブで暑さ寒さもしのぎにくい、生活圏から遠い。優先順位の低い若い単身者などは、プレハブ応急仮設を使いきり、住宅メーカーの建物になり、プレハブよりは住みやすい、町に近い。
津波で流された地区に、塩に弱くて2年間は見なかった「せいたかあわだち草」が昨年はちょびっと生え、今年は随分多く生えてきた、来年はどうなるのか心配だと。
仮設住宅でのスリーA
南相馬市立総合病院の小鷹昌明先生も先月に引き続いてお仲間さんに入って下さいましたこと、嬉しかったです。
ゲームの輪で私のお隣の方は、津波で流されながらも一命を取り留めた方でした。同じ町内の方々とご一緒の仮設住宅で、楽しく過ごしている様子に安心しました。
流された状況も話さして下さいました。「家族には高いところに早く行くように言い、自分は家に戻ってお金などをポケットに入れた〜〜津波があっと言う間に来て、首から上が出ていて、アップアップした。
全身ずぶ濡れになったので津波に遭わなかった親しいおばちゃんに(お願いだから下着、上着一式を私に寄付して下さい)って嘆願。自分は太っているが頂いた方は小さい方で、工夫をして着た。お金を持っていたので、助かった、などと話してくれた。
ゲームは郡山のKさんが、本当に上手に進められていました。
またサポートして下さる仲間が3人もいて心強い「チーム南相馬」です。小鷹ドクターも楽しそうにゲームをなさっていて、「笑いながらコミュニケーションが取れるのが良いですね」と仰っていました。
福島の方はシャイな方が多いように見受けられ、ゲームでは丸い輪になるのですが、両隣に若いスタッフを従えてご機嫌さんかと思ったのに、オトウサン、真っ赤な顔になり、隙をついて小鷹先生のお隣に移られたのには皆で驚きました。最後までゲームには楽しそうに参加して下さって良かったです。
運営委員 福井惠子