「官兵衛ゆかりの御着・姫路を歩く」

(%青点%)ウォーキング(文化塾友歩会)の報告です。
・日時:10月24日(金)9時〜15時
・集合時間:JR大阪駅・8時40分
・解散場所:姫路城入場口・14時30分
・【コース】:JR大阪駅−JR御着駅−御着城址−JR御着駅−JR姫路駅−姫路城(約6km)
・参加者:29名
・天候:雲一つない秋晴れ
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(%エンピツ%)「旧天川石橋(城堀跡)」(御着城址の一角に移築復元)(*右上の写真)
旧山陽道の天川に幅二間・長さ十四間の総石造りの太鼓橋が架っていた。文政十一年(1828)の竣工で、山陽道を往来する各藩の大名に対し、姫路城の威信をしめしたもので、当時の山陽道においてはこれに比肩する石橋はなかった。

(%エンピツ%)(御着駅)→小寺大明神御着城址黒田家廟所
◇「御着城址
御着城は永正16年(1519)に築城。赤松氏の一族で西播磨最大の領主であった小寺氏の本城。官兵衛は御着城で小寺政職の近習として仕えた。…御着城は、城主三代60年続いたが、天正7年(1579)に秀吉の播磨侵攻で滅亡した。
*御着城址は、ほとんど遺構がなく、公園や学校のグランドとなっている。
◇「黒田家廟所」(*右上の写真)
御着城址の一角にある官兵衛の祖父・重隆と生母・明石氏を祀った供養塔がある。母・明石氏は歌の道に優れ、官兵衛も母の影響を受けている。

(%エンピツ%)姫路城を歩く
◇「姫路城」(*右は、「にの門」(十文字の鬼瓦のある場所)からみた姫路城)
官兵衛は、天文15年(1546)に、御着城主・小寺政職の家老・黒田職隆の嫡男として姫路城で生まれる。当時の姫路城は大きくなく御着城が本城で姫路城は支城。祖父・重隆から父・政職、官兵衛の三代にわたって城を構えた。天正8年(1580)秀吉が西軍攻略の拠点として入城(3層の天守閣を完成させた)。関ヶ原合戦の後は、家康の女婿・池田輝政が52万石で入城、5層7階の天守を築いた。
*姫路城は大天守修理期間中のため、限られたところしか入場できません。

☆《姫路城は平成の大修理中》
右の写真は、2014年10月24日午後2時頃の姫路城です。修理の構台が順次解体され、来年3月末には一般公開の予定。