人生の『ドツボ』にハマる人、ハマりにくい人

時々、マイ畑に行き、

無心になって、草引きとか耕したり

あれこれと畑仕事をしています。

結構いい運動や癒し、リフレッシュの時間です(^^)♪

また、標高200メートルくらいにあるマイ畑がある

里山風景から大阪平野を見下ろし眺めながら

「諸行無常」を感じています。

時々、客観的且つ大局的に、

私の日常生活の場である大阪平野を眺めることも、

自分自身の、本来の『人生の目的』を失わない為にも

必要な時間になっています。

・・・みんな生きている限り、

必ず人生の落とし穴(大苦難)にハマる時があります。

ただ、浅く短期間だけハマるだけの人から

どっぷりハマり“ドツボ状態”に陥り、

酷い場合には人生を棒に振る人まで…いろいろ存在します。

必ずハマるものであるならば、

『どうすればハマった時のダメージを最小限に留めるか?』が、

私の関心事であります。

まずは「人生では必ず落とし穴があり、人は誰でも必ずハマる」と認識し、

それを常に意識しておく…つまり『心構え』をしておくことが

まず大事なのではないでしょうか。

心構えが出来ておりますと、『危機意識』が芽生え、

感覚が敏感になり、“落とし穴”が

だんだんと近づいて来ているのが見えて来ます。

つまり“兆し”というものが感覚で掴めるようになって来ます。

人間、心構えや覚悟が出来てますと8〜9割の危機は回避出来るし、

ハマッてもさほどダメージを受けず、

比較的短期間で元の状態に戻すことが出来ます。

ところが、落とし穴というものは、だんだん近づいて来るものと、

突然ボコッ!と足元に穴が開いて、

ズボッ!とハマる…突然襲って来るものがあります。

そんな突然ハマる落とし穴は、どうしようも回避出来ません。

そんな時は、ハマった瞬間に『平時モード』から、

一気に『緊急事態!危機意識全開モード』に

意識を切り変え(=まず心持ちを変える)、

どうすれば早く元の状態に戻せる可能性の高い対策から

順番に実践してゆきます。

しかしながら、『時期』というものが来ないと、

解決に行かない場合もあるので、その時はその苦難を受け入れ、

穴の中でじっと解決を待つ…という修業(=鍛錬を練り固める修業)も

必要なんだと思われます。

落とし穴にハマった後、少しでも早く抜け出す方法として…

1.日頃から心身を鍛錬しておく。いろんな経験を積んでおく。

(=正しい行を積んでおく。健康な心身がある程、問題解決のスピードは早くなる)

2.日頃から人様のお話し(正しいこと)を知識として積んでおく。

つまり、人様の知識や経験を『自分のもの』にしておく。

3.「人生には必ず『上り坂・下り坂、まさか』という“3つのサカ”があると肝に銘じ、

それを常に意識しながら生きる(常に『心構え』という備えをしておく)

以上3点があるのではないかなと思います。

同じ苦難・落とし穴にハマった人でも、

早く抜け出す人と、一生ハマり続け、自分自身で『墓穴』を掘る人がいます。

どちらがいいか悪いかは横に置いておいて、

どちらも『人生そのもの』であり、

他人がとやかく言ったり、批判するものでもないと考えます。

(自分が掘った墓穴に、他人をどんどん引きずり落とすヒトが存在します。

そんなヒトには容赦なく、徹底抗戦し、そのヒトだけを地獄に堕して懺悔させます)

しかしながら、自分的に『人生の選択』が間違いだと思い、

穴から抜け出したいのであれば、自己努力し続けるべきなんだと思います。

人生のベースはあくまで『自力本願』であり、

それがあって始めて『神風』という、他者からの応援・サポートや、

天からの応援という『他力本願』がもたらされます。

自分ではどうしょうも出来ない『他力本願』の力を

自分にもたらしたいと願うのが、

本来の『信仰する』ということの一面なのではないでしょうか。

あと『御利益を貰う』という概念も、私は違和感があります。

人生はあくまで自力本願でありますから、

天や他者から『貰う』のではなく、天や他者の力をお借りしつつ、

自分自身の中で『御利益を創り上げる』のが、

信仰というものの一つの本質なのではないでしょうか。

人生は受け身だけでなく、自分と他者&天、

双方向のやり取りで磨き高め形成されてゆくものなのではないでしょうか。

…しかしながら、またここで問題なんですが、

自己努力もしない・もしくは他者や天の意思や願いとは真逆の願いを持って、

信仰の場にやって来るヒトが結構存在します。

そんなヒト達は『邪気』を持ち、場や他人の心を穢がし続けています。

他者もカミサマも最も嫌うのが『穢れ(汚れ)』であります。

汚い心を持つ人間や場所には、同じ汚い人間しか集まって来ないのです。

そんなヒトの願いは誰からも・何からも応援されません。

(その場に存在するのは執拗な依存関係と騙し合い&落とし合いでしょう)

自己努力である程度までは叶うかも知れませんが、

それはあくまで一瞬であり、結局、自滅して消えて逝きます。

信仰の場で、自身の願いを祈る前に、

自分の願いが、他者や天に受け入れられるか?

ちゃんと考えて答えを出してから、信仰の場に行かなければなりません。

分からない人には分かりませんが、分かる人には分かるのです。

見た目ばかり磨く『メッキ人間』が多く、“反面教師”。

そんなヒトとは基本的に関わらないか、関わっても表面のみでございます。

人生は取捨選択です。

限りある人生。。。

私はそんなヒトと関わっている時間はないんです。

私が関わっていきたいのは「動物的ヒト」ではなく、「人間的人」であります。

「ヒト」は、自己防衛・保身や自己満足、自己快楽のみを追求し、

不幸に堕ちてゆけばいいのです。

人の正しいアドバイスや忠告も一切受け入れず、改心しません。

だから私は「ヒト」には関わらないことにいたしました。

地獄(不幸のどん底)まで堕ちなければ、

反省し懺悔、改心出来ない程にレベルが堕ちています。

「人」こそが、苦難や修行の過程で希望あふれる未来を築き、

時代を創り、そして自他共に幸せになってゆくのです。

私はますます中身を磨くべく、行に専念しなければならないと、

ある種の使命感を日に日に強くして頂いております。。。(ー人ー)☆