「老年的超越」
・・・という言葉を知りました。
『老い』という概念・価値観が変わりました。
『若さを保つことが、年齢を重ねる良い条件ではない』
ということのようです。
私たちは年齢を重ねて来ると身体や脳機能が低下し、
若い時に出来ていたことが出来なくなって来て、
自らを悲観したり苛立ち、不幸に感じてゆきます。
しかしながら、そんな感情を抱えながらも更に年齢を重ね、
100歳くらいになると『老いることに対しての不安や苛立ち』
から超剋してゆくようです。
つまり、『老い』に対して悲観したり抗ったりせず、
老いや死…『ありのまま』を受け入れれることにより、
そこに幸福の境地が待っているとのことです。
生きる充足感。生き抜いてきた達成感、
そして『生かされている』ことへの感謝に溢れ、
慈愛に満た幸福の境地が、この世に存在するというのです。
人が老いると、赤ちゃんの時のように人の世話になってゆくもの。
全てを受け入れる。
戦わない。否定しない。抗わない。。。
…いろいろな人に支えられ、
生かされて来た感謝の念が、リアルな死を直前に控え、
死への恐怖や絶望ではなく
『この時、だからこそ人の為に尽くしたいと思う』
100歳の方々を私は知りました。
恐らく、悲観したり絶望したりする傾向にある人(自虐的思考)や、
老いや他者を責め、それらと戦う人(他虐的思考)は、
『老年的超越』の境地に達することなく、
自身が生み出したマイナスの気(感情)により心身を滅ぼし、
苦しみ嘆きながら、後悔しながら死んでしまうのかも知れません。
老年的超越を迎える人は、
人生の『ボーナスステージ』のようで、
自他のために正しく平和に生き抜いた方々に与えられた、
地上の楽園〜正に天国〜のような感じです。
私もそんな生き方をして、残り70年近い人生を正しく生きて、
この世の楽園〜悟りの境地〜を一瞬でも感じてみたいです(%ニコ女%)(%音符1%)