「縁」というものの本質

縁というものは、「欲する」からやって来るのではない。

「必要」だからやって来るのでは。。。?

最近はそんな風に感じています。

欲してやって来る縁は『良縁』、

自分苦しめ忌み嫌う縁は『悪縁』と、

全く別のものとして、分けているが、

これらの共通する点は2つ。まず『同じ“縁”というものであること』、

そして『自分にとって必要な縁である』こと、

もしくは『必要だとは思いたくないが、思わないと…

そう思い込まないと前向きに生きていけない』という点。

…みんな、その時々によって質や量がコ

ロコロ変わる個人的願望や色欲(自己快楽のみみ追求した煩悩)、

感情(焦りや逃げ、恐怖や過信)で、『ありのまま』が見えておらず、

間違った見方・判断をし、それに基づいた行動をし、

更に間違いを深めてしまっている。。。

間違い(黒)が正解(白)には永遠に変わらず、

好転しても完全なる正解にはならず、グレーの(中途半端な)状態が続く。

「最後の最後が一番幸せ。我が人生に悔いなし!ほなさいなら〜」って

最後最高の笑顔で潔ぎよくこの世を去れるかです。

“たかじんさん”みたいに最後「ちょっくら呑みに行って来るワ〜」って

言って去りたいです(笑)。

それが私の人生の大目標なので、

それをどう達成するか真剣に考えた時、

やはり『人生即遍路』で、

人生はそのもの自体が遍路・修業であり、『行』なんだと思います。

・・・先日、ハングリー精神旺盛な若きサムライ・ビジネスマン達との

交流会に参加して来ました。

その会のリーダーの方はもう70歳くらいで、

若きサムライ(経営者)を応援したいという想いでされてはりますので、

集まる方全員が『相手も自分も…全てがよくなるビジネス』を日々展開され、

娑婆の世界で果敢に戦っておられ、観ていて清々しいです。

一般的に女性よりも男性の方が生命エネルギーが強く、

その強くてたくましいエネルギーが、健全な方向に向かっていると、

世の中が健全に活気が満ちてきます。

あとこれは男女双方に言えることですが、

仕事であれボランティアであれ家事であれ

…全ての与えられる“働き”は、

『喜んで・楽しんでやる』のが根本的に大切のようです。

そんな気持ち(“気”の持ち方)が前向きになる程、

自らの働きのレベルがより高くなり、自他共により幸せになって来るようです。

「なんで自分だけこんなしんどい事せなアカンねんやろ?」と

世の中に“病”の気(病気)を出している人や、

「人を騙してでも自分に幸せを引き寄せたい」と

“邪”の気(邪気)を放ち続けている人もいます。

人間は人の間でしか生きてゆけず、

自他の幸せを願い実践すべき存在であります。

自分だけのことしか考えないのは、動物的ヒトであり、

進化の度合い・レベルは、落ちてる食べ物を探し、

時期が来たら交尾する鳥と変わりません。

・・・結局のところ、全ての『縁』が因果応報・・・

全て自分自身や自分の家系(所属するコミュニティ)によって

もたらされているような感じがいたします(%ショック女%)(%痛い女%)(%ニコ女%)(%星%)