夏目漱石『こころ』をめぐって

(%紫点%)後期講座(文学・文芸コース)の第7回講義の報告です。
・日時:11月6日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:夏目漱石『こころ』をめぐって
・講師:浅田隆先生(奈良大学名誉教授)
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○夏目漱石「略歴」(1867−1916年)
・慶応3年(1867)江戸牛込馬場下横町(東京都新宿区牛込喜久井町)に生まれる。本名は金之助。父は同町一帯を支配する名主。五男三女の末っ子(父50歳、母41歳の子)。漱石は家庭的には恵まれない幼少時を送った。生後間もなく里子に出された。続いて塩原昌之助の養子になり、しかし、養父母が離婚し、.夏目家に明治21年戻る。
・明治23年(1890)24歳:東京帝国大学に入学。
・明治28年(1895)29歳:愛媛県尋常中学校(松山中学)の教員になり、松山に赴任。
(松山にいたのはわずかに1年間であったが、この間に「坊ちゃん」の材料にぶつかり、子規は漱石の下宿に一緒に住む。)
・明治29年(1896)30歳:熊本の第五高等学校講師として赴任。6月、中根鏡子と結婚。
・明治33年(1900)34歳:文部省から英語教育の研究のため満2年間のイギリス留学。
★主な作品…「坊つちゃん」・「草枕」・二百十日」(1906年)、「虞美人草」(1907年)、「三四郎」(1908年)、「それから」(1909年)、「門」(1910年)、「彼岸過迄」(1912年)、「行人」(1913年)、「こころ」(1914年)、「道草」(1915年)、「明暗」(未完、1916年)

○小説『こころ』について
・『こころ』は、大正3年(1914)4月から8月にかけて、110回にわたって東京・大阪の朝日新聞に連載。同年、9月岩波書店より刊行。(漱石の数えで48歳の年になり、死の前々年にあたる。)
・この作品は、上中下に分かれている。(ー「先生と私」、−「両親と私」、−「先生と遺書」の三部からなる)。
・内容の暗さにもかかわらず、広く読まれ、読者に深い感銘を与える作品となっている。
*右は、岩波文庫の夏目漱石作『こころ』【1927年7月第1刷発行、1989年5月第79刷発行、2014年5月第128刷発行】。定価600円+税。本のカバーには、「こころ…かつて親友を裏切って死に追いやったという過去を背負い、罪の意識に苛まれつつまるで生命をひきずるようにして生きる「先生」。と、そこへ明治天皇が亡くなり、乃木大将が殉死するという事件がおこった。「先生」もまた死を決意する。だが、なぜ・・・。」と紹介されている。

○『こころ』慷慨(あらすじ)(*右の資料を参照)
先生と私」…鎌倉の海で先生と出会ったとき、私は高校生だった。私は先生に惹かれ、自宅にたびたび訪れるようになった。しかし、先生は、ひっそりと暮らしていて、謎が多い。
両親と私」…私は卒業して帰省した。父の持病が悪化して危篤状態になる。.そこへ先生から厚い手紙が届いた。「…私はもうこの世にいない」という一行が目を射たとき、私は家を飛び出し、東京行きの汽車に乗った。
先生と遺書」…先生の遺書の中が語られていきます。私(先生)とK(親友)が、おなじ下宿に住んで、下宿のお嬢さんを二人がともに好きになる。ある日、Kがお嬢さんへの愛を私に打ち明けた。私は、Kをだしぬいて、下宿の女主人に結婚の許しを求めた。私とお嬢さんの婚約を知ったKは何もいわず、自殺した。私は大学を卒業しお嬢さんと結婚。たえず、自分は許しがたい罪人だとの悔恨が胸を噛む。妻は何も知りません。そして、乃木大将の殉死を聞いて、私もとうとう「明治の精神」に殉死する決心をしたのです。

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◇「夏目漱石『こころ』をめぐって」の講義は、今回を含め3回にわたって行います。
次回は、来年5月と6月の予定です。