「使い捨て」という言葉が流行した2006年
私は日本の「第三の敗戦」を実感した
教えている大学の講義で20歳の学生200人の半分が
「人間は使い捨てだ」に手を挙げる
9割の学生が自分の会社の工場の有毒廃液のために
一般市民が死んでいても、自分の保身のために
その事実を隠ぺいするという
そんな社会はとうに終わっている
その責任はそんな社会を子どもたちに見せ続けた私たち大人にある
その敗戦からの復興はいかになされるべきなのか
私は講演やセミナー、そして著作でと
微力ながら全力で立ち向かった
講演やセミナーで話を聞いてくれた人は深く感じ入ってくれる
著書の読者から熱い反応が来る
しかし「敗戦」をもたらしたのは社会の総体であり時代の趨勢である
その前で自分の力不足を感じざるを得なかった
しかしその流れを変える大きな出来事が起こった
東日本大震災と福島第一原発事故である
震災後3カ月の11年6月、私は200人の学生に同じ質問をしてみた
君が派遣された東南アジアの工場の有毒廃液のために
下流で一般市民が死んでいる
君は上司から事実の隠ぺいを命じられた。どうするか
1.「自分の名前を出して内部告発する」が30人
2.「匿名で情報をリークする」が100人
3.「何もしない」が70人だった
06年のそれぞれ3人、15人、180人から大逆転が起こった
その1年後、私は揺り戻しがおこっているのでは、と
ドキドキしながら同じ質問をした
結果は50人、120人、30人であった
情報の隠ぺいは許さないう姿勢が学生にますます広がっていたのである
それは明らかに福島第一原発事故の影響である
原発に危険性があるということを知りながら
意図的に隠ぺいする、あるいは保身のために言い出せないという
まさに06年の学生たちが選んだ態度が原発の周辺に蔓延していた
その過ちによりどれだけ巨大な災厄がもたらされたか
それを目の当たりにした学生は、もはや情報の隠ぺいは選ばなかった
自分の保身よりも社会正義を選ぶという選択が大多数となったのである
<ピラカンサスの実がなりました>