苦難と試練についての考察

夕方、駅からの帰り道ふっと空を見上げると

雨天の合間の美しい夕日が西側に拡がっていました。

心、おだやかに、洗われますね。

更に南側を見ますと、洗練された三日月と飛行機雲がありました。

上空も風がなかったようで、

飛行機はまっすぐ平行に雲をの線を描きながら

東の空に消えていきました。

帰り道歩きながら、その飛行機雲を眺めながら

「ああ。。。この雲のように人生、まっすぐ歩めたら

それだけ平安で幸せなんやろうか。。。」

って感じました。

ま、人生くねくね道の方が味があり、深みがあって、面白いとも思います。

(これは人それぞれ価値観が違いますので、個人判断に委ねます)

どのような道であっても、どんなにくねくね曲がっていても、

その人その人の人生はみんな「一本道」であり、「まっすぐ」であります。

それだけは言えるのではないでしょうか。。。?

次に浮かんだのは、「苦難」と「試練」という言葉です。

私が思う「苦難」とは、『因果応報』で、

自分自身が撒いた種から起こる、数々の困難・苦しみであります。

苦難が来る=自分に何らかの善くないもの・ことがあり、

それを直すための手がかり・きっかけとして起こるものだと思います。

(逆に「幸福」が来る=自分に何らかの善いこと・ものがあるということです)

つまり、自分のマイナス的要素を無くしていく・・・

マイナスからゼロに戻していく作業(修行)であります。

ただ、その『因果応報』は、自分で撒いた種もあれば、

自分が所属するコミュニティ(家族や会社など、自分が所属する組織)

の誰かが撒いた種でもあります。

その家族や会社に所属する人たちは、

既にあの世に逝った人たちが撒いた種もあります。

徳も罪も、時空を越えて齎されることがあるようです。

一方「試練」とは何か。。。?

これは、自分が「こうなりたい」「こうしたい」と

人生に対して積極的に挑戦してゆく過程で起こる苦難なんだと思います。

つまりゼロからプラスに、人生を持っていく・・・

上昇気流を持つ苦難なのではないでしょうか?

私はこの試練という苦難を、「積極的苦難」と呼び、

上記のマイナス→ゼロに持っていく苦難を

「消極的苦難」と呼んでいます。

つまり、「不幸にならないように努力する」のが苦難の解消で、

「より幸せになるために努力する」のが、試練への挑戦なのではないでしょうか。

魂のレベルが高い人程、人生の中でも「積極的苦難」が多くなり、

低い人程、「消極的苦難」が多くなるようです。

その人その人の本質(心の有り様)は目には観えませんが、

その人の周りに起こる苦難を静かに観察しておりますと、

その人の「人となり(レベル)」が観えて参ります。

魂のレベルを上げる・・・つまり「消極的苦難」を減らし

「積極的苦難」を増やしていく、正に前向きな人生を歩む為には

やっぱり修行(行)を通して、

自分自身の手で自分を磨き高めてゆくしかないと

確信に至っております。

まずは己、そして「己が全て」であります(^^)☆