現地見学「長岡京跡・恵解山古墳など」

(%緑点%)後期講座(歴史コース)(9月〜1月:全15講義)の第10回講義(現地見学)の報告です。
・日時:12月2日(火)am10時半〜pm4時
・講師:中尾芳治先生(元帝塚山学院大学教授)
・集合場所・時間:阪急・西向日駅 am10時半
・解散場所・時間:JR長岡京駅 pm4時
・【コース】:阪急・西向日駅−朝堂院跡−大極殿跡(昼食)−向日神社−元稲荷古墳−内郭築地回廊跡(東宮)ー阪急・西向日駅・・・阪急・西山天王山駅−恵解山古墳−勝竜寺−JR長岡京駅 (約7km)
・参加者:41名
・天候:晴れ(前日から寒波襲来。当日は、幸いにも、昼間は晴れて、寒さもゆるむ。)
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(%エンピツ%)長岡京跡を辿る−「朝堂院跡」、「大極殿跡」。 (第一次内裏(西宮)、第二次内裏(東宮)は省略)
朝堂院跡(史跡朝堂院公園)(京都府向日市鶏冠井町(むこうしかいでちょう))
阪急・西向日駅の近くに「朝堂院公園」があり、「朝堂院西第四堂跡・南門跡」が保存されている。朝堂院は宮の中心にある国家の政務・儀式を行う場所で、東西に四堂ずつ、計八堂からなっている。
(注)道路を隔てて生垣の中に「長岡宮朝堂院会昌門跡」の石柱が立っているが、1954年暮れから翌年にかけて中山修一氏が最初に発掘調査を行った記念すべき場所である。(中山修一先生[1915−1997年]は、私費で長岡京の発掘を手がけ、「幻の都」といわれていた長岡京の実在を明らかにされた。)
*右上の写真は、朝堂院西第四堂跡です。各自がタブレット端末をもって、自分のいる場所が、1200年以上前にどんな風景だったのか、画面で確認できる体験アプリ。建物だけでなく、人や動物も出現するという、初めての体験で、しばしの間、タイムスリップ。

大極殿跡(史跡大極殿公園)(京都府向日市鶏冠井町)
大極殿は一番重要な中心地で、政務や儀式の際、天皇が臨御する場でした。元日には前庭にのぼり旗(宝幢(ほうどう))がたてられ、華やかな儀式を演出した。
*長岡京は、桓武天皇が延暦三(784)年11月11日に奈良・平城京から遷都した。最初は副都難波京の宮城を、後には平城京の諸門を移築するなど造営の促進が図られたが、結局延暦十三(794)年には平安京に遷都する。長岡京の規模は、東西4.3km、南北5.3km。…かつて長岡京はわずか10年で廃絶した「未完の都」「仮の都」と考えられたが、昭和29(1954)年以来半世紀を越える発掘調査の結果、本格的な都として造営されたことが、明らかになった。

(%エンピツ%) 向日神社(むこうじんじゃ)(京都市向日市向日町北山)
養老二(718)年の創建と伝え、室町時代の流造(ながれつくり)様式の本殿は、国指定の重要文化財。また、明治神宮本殿造営の際には、当神殿をモデルとされている。…右の写真は、御影石が敷き詰められた200mにおよぶ参道で、紅葉が美しい。
元稲荷古墳(もといなりこふん)(向日神社の北側の丘の上)(写真は省略)
三世紀末頃の前方後方墳で、乙訓(おとくに)地域最古の古墳。ここで出土した特殊器台埴輪・壺型土器によって、それまで謎であった「埴輪のルーツ」が明らかになった。

(%エンピツ%) 恵解山古墳(いげのやまこふん)(京都府長岡京市勝竜寺)
古墳時代中期に築造された全長約128mの乙訓地域最大の前方後円墳。古墳は3段に築かれ、各段と頂部平坦面には埴輪がならべられていた。刀剣などの鉄製武器が約700点納めてあり、全国的にも珍しい。恵解山古墳は、その規模と構造から5世紀前半頃に桂川沿岸の乙訓地域を治めた支配者の墓と考えられている。
*恵解山古墳は、大量の鉄器埋納抗が発見されたことから国史跡に指定され、中尾先生が委員長になって復元整備。今年、平成26年10月26日に史跡公園として開園された。(尚、中尾先生は、(公財)京都府埋蔵文化財調査研究センターの理事として発掘調査・保存修理活動に参画。)